海洋堂かっぱ館

海洋堂シマントミュージアムビレッジ

馬之助物語

馬之助物語

私と父と馬之助との出会い

80数年前、私の父親は高知市の材木町という所で指し物大工の店を出していました。 その父のもとに、大正町(現在の四万十町)の打井川で炭焼きをしている徒兄弟から知らせがありました。それは「打井川の一の又の谷あいに炭窯を構えて、炭焼きをすると得体の知れない高熱が出て困る。何か物の怪にでも憑かれたような恐ろしさを感じる」というものでした。 従兄弟は炭焼きを生業にしている屈強な男です。そのような男が泣き言を並べるからには、それなりの理由があるだろうと考えた父親はすぐに打井川に出向くことにしました。 父の本業は指し物大工ですが、余技として神官のまねごとをしていました。近所の簡単な神事に招かれては、祝詞をあげたりするなど神主よろしくこなしていたのでしょう。子供のころ、神棚に向かって一心不乱に祝詞をあげる姿を見た記憶がありますから、趣味の領域を超えていたのかもしれません。 当時、高知市から大正町へ行くには、土讃線で終点の須崎駅まで汽車に乗り、須崎駅から窪川町までは乗り合いバスで行きます。やっとの思いで窪川に着いても、大正町への乗り合いバスは一日数便しかありません。 大正町の上宮には父親の実家があって、温厚な兄一家が暮らしていました。一日目はその兄の家に泊まりました。

おんしゃ、しばてんかよ!

上宮から打井川に行くのには、四万十川の支流である谷川沿いを五キロほど歩かねばなりません。行けども行けども谷川のせせらぎと緑の木々だけでの道です。 父親も独りで歩いた経験はありませんので、不安になったというほどの静かな山の道で、わら草履で歩いていても、すたすたという足音が谷間に響きます。その足音を聞きつけて、何かが尾行しているような気配を感じました。 するとどうでしょう?着物というよりは、ぼろ切れをまとったような子供が立ち止まり、谷川の岩の上でかがむようにして父親を見ているのです。その子供は棒切れを右手に持ち、まるで侵入者を見張っているような構えをしています。 「おんしゃ、しばてんかよ!」と父親が言うと、そのワルガキは消えてしまいます。谷川の主である河童がいたずらを仕掛けているのかぐらいに考えて、それもよかろうと父親はすたすたと歩き出します。するとワルガキは岩の上を跳ねるようについてきたり、父親を追い越したりするようにもなりました。 そうして炭焼き小屋に着いた父親は、神官の装束に着替えて道具を準備して、急ごしらえの祭壇に向かって、祝詞を上げました。その祭壇のそばにワルガキが現れ、その顔は苦しみに歪んでいるのです。その話を従兄弟にすると「それは馬之助じゃ」と言って、打井川に伝わる昔話を始めました。

7歳の捨て子の霊

馬之助の伝承は200年ほど昔にさかのぼります。奥打井川に年貢も納められない貧しい子沢山の百姓一家があって、毎日の食べ物にも窮するような生活をしていました。子供の中でも七歳になる馬之助は盗みはするし、子供をいじめるというワルガキで、思い余った親は一の又谷に捨てたというのです。 十日ほど経ってから、父親がそっと見に行ったときには、あかいこ(沢ガニ)などを食べていました。しかし一カ月ほどすると、忽然と姿が消えてなくなったと伝えられています。 この伝承を聞いた私の父親は、あのワルガキこそ、馬之助の霊であろうと確信したのです。

谷川の石を御神体に祈願

父親は、沢ガニのいる谷川から形の良い石を探し出し、その石に馬之助大明神と筆を走らせて、それをご神体として安置しました。大工でもある父は小さな祠を自分で作って、安らかに眠るように祈願したといいます。 それができてからは、従兄弟が炭焼きをしても病気になることはなくなりました。それから朝晩手を合わせたり、お供え物を欠かさず祭ったそうです。 50年あまり前、職業も定まらぬ私は、奥打井川で雑貨商をしている叔母の所に十日ほど滞在したことがありました。そこで馬之助の話を聞きました。今は馬之助大明神という立派な神社になって、お参りすると子供の病気が治るということで、遠くの村々から詣でる人々が増え続けている、というのです。特に命日は、あの山奥に縁日もあるにぎわいということでした。 父親の作った祠は跡形がないにしても立派な神社になっているのですから、どういうことになっているのか?と興味をそそられました。

父のDNAが私を呼び寄せた50年ぶりの不思議な出会い

当時の神社には、子供用の三輸車やぬいぐるみなどが、天井から所狭しとぶら下げられていて、異様な光景でもありました。子供の病気が治ったことに感謝して、持ってきたのでしょう。 そのころ20歳代だった私は、そのことに驚いて感動はしたものの、これから馬之助神社をどのようにすればいいのか、考えることもありませんでした。 それから都会に出て働くことが精いっぱいで、馬之助のことはすっかり忘れていました。昨年、高知市での小さな催しの席で、山本紀子さんという女性に出会いました。その女性は四万十町の酒造会社「無手無冠(むてむか)」の奥さんで、新聞などで私のことを知って、会いに来てくださったのです。 故郷のことで話も弾んで再会を約束しました。しばらくしてまた高知に来る機会があり、山本さんと会うことができました。いざお別れをする間際になって、ふと思い出して「馬之助大明神はどうなっているのでしょう?」と尋ねました。 「立派な馬之助神社になっていますよ」という答えに、私は驚いたというより狼狽してしまいました。神社のある土地は山本さんの持ち山の一部というのですから、不思議な縁を強く感じました。高知市まで私に会いに来てくださった山本さんが馬之助の再来にすら思えたほどでした。 すぐにも参拝したいと思いましたが、その日は先約もあり、大阪に帰りました。そして翌月・四万十町の馬之助神社へ行くために高知を訪れました。

御神体を作ろう!

馬之助神社への川沿いの道は、車を運転していても、「まだか?まだか?」と不安になるほどの道のりです。神社に着くと、降っていた雨が上がって、木洩れ日が差し込んでいました。打井川の人たちに迎えられて、石段を上がり境内に入ると、一面に赤い沢ガニがいっぱい集まって、足の踏み場もないほど群れていました。 土地の人も珍しい光景だと言っていました。ひょっとしたら馬之助が沢ガニの姿になって迎えてくれたのでは、と奇妙な気持ちを抱いたりしました。 このような時代に、名もない小さな祠が自然に大きな神社になったという例は、全国的にも珍しいのではないでしょうか。私は不遜にも馬之助大明神のご神像をつくろうと思い立ちました。 それが故郷の四万十町のためにもなるならば、父親の思いを継いだことにもなります。いじめや自殺などという暗いニュースが毎日のように伝えられます。馬之助神社へ行く自然豊かな道を、多くの人にたどってもらいたいと思うのです。谷川のせせらぎと緑の山の道は、荒んだ現代人の心を癒やす効果があるものと信じています。 (高知新聞掲載 馬之助大明神異聞より) ※馬之助神社は平成21年、祭神名を馬之助大神として宗教法人の認定を受けました。