館長室

海洋堂シマントミュージアムビレッジ

商いの手帖

 


 

 

はじめに ホビー時代を迎えるに当って

「鍬を手にして夢みよう」という有名な言葉があるように、人間である限り、生きているかぎり、手を使ってなにかをしたい衝動に駆られるときが来るだろう。そのときこそホビー時代の到来なのである。

 

十年ものながい間プラモケイの専売に徹してきた私たちは、いま「商いの手帖」を刊行する運びとなった。これは十年の商いの間に学び覚えたものを、蟹の泡ふきよろしく吐き出すためでもあろうし、新しいホビーの商いを探求するためでもあろう。

ご生大事にプラモケイだけを商ってきた私たちは、あらんかぎりの脳味噌をしぼり出し、眠る以外は働きつづけたにもかかわらず、これはと自慢できる収穫はなかった。が、それでも商いにかけた情熱と、費やした時間と、注入した努力は、決して空しくはなかった。と云い切れる自信はある。

この激しく流動する時代に、一つの商いに専念した十年間は、ことばでは表現できるような生易しさではないけれど、プラモケイの商いに対し信義を貫きとおしたと、私たちなりに自負し、それを誇りに思っている。

ながい間好調を持続してきた筈のプラモケイにも、ようやく暗い翳がおおいはじめ、混沌とした状況を眼前に迎えようとしているけれど、これはプラモケイの商いに携わってきたすべての者の責任ではなかろうか。

かって私たちはプラモケイの孤塁を守るという気概をもてばもつほど、商いそのものが滑稽で狂おしく映り、ご同業や、まわりから嘲笑を浴びる結果を招いた。

これではいけないと考え、歯を喰いしばってプラモケイノ制作と、販売に没頭した最近の四年間は、厳しく、辛く、悲愴でさえあった。

しかしこの四年間に私たちは、一つの商いから多くの商いの方法ばかりではなく、商いの基本を学んだように思えるのだ。

ホビー時代の先駈けであった筈のプラモケイは、すでに現代の適性を失いかけているが、果して尖兵としての役割を完了したのであろうか。

十五年まえには時代を先どりしたなどともてはやされたプラモケイが、なぜ時流に抗しきれなくなったのであろうか。

それらは箱さえ並べておけば商いになったという安易さにあぐらをかき、プラスチックという素材の分析と応用を怠り、そのうえ商い感覚すら育成しようとせず、未来を洞察する能力を麻痺させてしまったことに基因しているようだ。

いつの時代といえど、商品の基本的な認識を欠き、先をみる能力のない商人は惨めである。

ホビー時代を迎えようとしているのに、相も変わらず腕をこまぬき、眼ばかりきょろきょろさせていては、巨大な流れのなかに埋没するだけではなかろうか。

ホビー時代はあそびの時代である。

あそびの本質は、すべての人が手を動かし、ものごとに熱中することがたてまえであるからには、あそびの時代こそ、情熱と想像の時代なのだ。

「創るたのしみをすべての人に」を商いのスローガンに掲げてきた私たちは、眼前に迎えようとしている創る時代、つまりホビー時代の真の先駈けとなって、商いを盛大にしたいと願望している。

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ローマの軍船とギリシヤの軍船のキットと完成品の販売のアイデア

この特集欄には、海洋堂の体験的販売計画と、行動結果を報告したいと考えています。が、今回に限り、これといった体験的成果を示し得ないのは甚だ残念に思われます。その点は何卒ご承知下さい。

まずローマの軍船を売るためにわたし共は、蒐めれるかぎりのローマの本を蒐めてみました。勿論本を購入するための限界もありますので、古本店で揃えれるだけの本を蒐めたものが写真のとおりです。

ローマとギリシャを売る。が海洋堂の上半期の販売テーマにして、ローマとギリシャを主体にした商いを展開しようと話合いました。

 

<ローマの軍船キット販売>

12がつ20日のローマの軍船のキット発売以来海洋堂では、三百五十隻以上を店頭販売いたしました。

三百五十隻という数量は、四、五年まえの海洋堂の販売量とは比較にならないお粗末さであるが、店売りが家内だけの仕事であるからには、戦略など編みようがないといったのが本音でしょう。

それでも店頭売りを果すために、表にあるテーマウインドには、七隻のローマの軍船をデスプレーし、店内にも三隻の階段を追った作品を並べて、顧客心理にアピールさせました。―写真参照-

その他家内の販売テクニックといえば、ほとんど対話による口こみ宣伝で、大人といわず子供いわず、ローマの軍船を宣伝することで、一隻でも多く売ろうと試みたようです。

キット販売のアイデアのなかに並べたてたように、以前のキット売りだけに熱中していた頃の海洋堂スタッフであれば、アイデアを消化するために可能なかぎりの機動力を駆使して、ありとあらゆる売り方を試み、驚異的な数量を提示ることができたでしょう。が、現在海洋堂の主流は、工具販売と、アートプラの条件づくりに没頭していて、その実績を示すことができないのは残念なことであると共に、心苦しい限りです。

しかし、そのうちにはローマの軍艦もギリシャの軍船のキット販売も、二ヶ月ぐらいの期間に集中的にと考えていますので、そのうちその成果をご報告できるものと思います。

 

<キット販売にどれだけのアイデアがあるか>

1 店頭のローマの軍船の看板を設ける。

2 街頭にローマの軍船のポスターを張る。

3 ローマの軍船のチラシを配布する。

4 ローマの軍船の制作講習会を開く。

5 ローマの軍船の完成品でウインドを埋める。

6 店内をローマの軍船調びする。

7 ローマに関するものへ挑戦する。

8 逢う人にローマの軍船を説明する。

9 ローマのはなしを考えて制作欲をそそる。

10 大小企業の社員に講習会を開く。

11 完成品の素晴らしさを納得させる。

12 制作のしやすさを浸透させる。

13 完成品のよさを力説する。

14 記念品を探している人に制作させる。

15 結婚式の贈物としてすすめる。

16 近所の人たちにすすめる。

17 親族友人知人にすすめる。

18 ガソリンスタンドの社員にすすめる。

19 遠洋漁業へ征く漁師にすすめる。

20 外国航路の船員にすすめる。

21 造船会社の社員にすすめる。

22 漁業組合などで講習会を開く。

23 建築工事現場など飯場へすすめる。

24 団地のママ族などにすすめる。

25 芸能人にすすめる。

26 テレビ局などへすすめる。

27 入院患者にすすめる。

28 遊園地などでテーマ販売する。

29 人の集るところで制作実演販売する。

30 店頭に実演販売台を設ける。

31 お土産品として使う。

32 キットを常時持ち歩き売りつける。

33 旅行などでもひまがあればたえず制作し、チャンスがあればPRする。

34 海に関係ある人を調べダイレクトメールする。

35 一つ制作した人に二つ三つと作らせる。

36 制作した人に十人の知人友人を紹介して貰うごとに一隻進呈する。

37 ローマの軍船のコンクールを開く。

38 ローマの軍船の完成品を買い上げる。

39 ローマ人のスタイルの着衣をつけて歩く。

40 ローマの本を蒐めてそれを店内に並べる。

41 ローマの軍船キチガイを輩出させる。

42 ローマをテッテイ的に勉強する。

43 プラモケイ以外の階層を狙う。

44 アートフラワーなどの会員を狙う。

45 各種クラブに働きかける。

46 大学のヨットクラブ員に注文をとる。

47 全国のヨットクラブで展示販売する。

48 モーターボートクラブで展販する。

 

以上のアイデアの大半は、四・五年まえのキット販売当時には、なんらかの行動を起こしたところであり、しぼり出せばもっともっと出せるのではないでしょうか。

要するにアイデア販売とは、一丁やってみるか。という挑戦欲と、行動力につきるのではないでしょうか。

販売する気なら、あなたの友人、知人だけを思い浮かべられても、きっとなんらかの形でローマの軍船に結びつくのではないでしょうか。アートプラは、プラモケイと異り、だれにもふさわしい条件をもっているのです。

次にはローマの軍船の完成品を売るためのアイデアを並べてみましょう。

アートプラでは、完成品販売がものすごく魅力的であり、どなたでも販売戦略が編めるという特質があるのです。

 

<完成品を売るためのアイデア>

1 テレビの上の空間の飾りものに。

2 居間の装飾品に。

3 応接間の飾りものに。

4 玄関の飾りものに。

5 洋服店のウインドデスプレー用に。

6 化粧品店のウインドデスプレー用に。

7 レジャー用品店のデスプレー用に。

8 喫茶店のデスプレー用に。

9 各種催物用に。

10 卆業祝いに。

11 入学祝いに。

12 開店祝いに。

13 創立記念日に。

14 結婚式の記念日に。

15 引出物に。

16 時計店のデスプレー用に。

17 宝石店のデスプレー用に。

18 新築祝いに。

19 ゴルフの景品に。

20 帆船の進水祝いに。

21 ビルの完成祝いに。

22 お歳暮用に。

23 お中元用に。

24 ホテルの各室の飾りものに。

25 ローマの名称あるものを探す。

26 ホテルのロビー用に。

27 船会社々長室に。

28 帆船関係者に。

29 創業記念日に。

30 ヨット愛好者にアピールする。

31 ボート愛好者にアピールする。

32 船乗りに。

33 神戸、横浜の入港船に。

34 外国みやげに。

35 フェリーボート会社と従業員に。

36 遠距離フェリーの乗客の退屈用に。

37 海辺にある民宿や、施設へ。

38 百貨店のインテリア部門へ。

39 テレビのコマーシャル様に。

40 商店などの催物の景品に。

41 会社などの販売促進物に。

42 サービス品に。

43 内祝いなどに。

44 就職祝いに。

45 永年勤続者記念品に。

46 建築会社の新築向け記念品に。

47 マンションなどの装飾品に。

48 一流会社の役員宅へ。

49 造船会社の部課長以上に。

50 帆船解体会社の部課長以上に。

51 帆船修理会社の部課長以上に。

52 帆船荷役会社の部課長以上に。

53 帆船売買会社の部課長以上に。

54 港湾関係者に。

55 全国水産学校卆業者名簿でアタックする。

56 全国商船大学主審者名簿でアタックする。

57 魚問屋や、魚屋を調べる。

58 婚礼用具のなかに入れる。

59 銀行のフロアー。

60 海上火災保健会社。

61 俳優。

62 歌手。

63 観光案内所。

64 西洋料理の店。

65 バーの飾り台のうえ。

66 スナック。

67 漁具販売。

68 海産物問屋や、海産物店。

69 貿易商。

70 周旋屋。

71 医院。

72 航空会社。

 

<次に完成品の卸販売を委ねるところ>

1 百貨店商事部。

2 美術工芸品店。

3 骨とう品店。

4 画材店。

5 画廊。

6 デスプレー店。

7 宝飾店。

8 結婚式場。

9 進物用品店。

10 趣味店。

 

以上は大ざっぱなアイデアを出したものですが、完成品販売には、キット販売以上のアイデアが考えられて当りまえと思われます。

かりにあなたが喫茶店を狙ってやろうとお考えになりますと、まず大阪なれば大阪の喫茶店数を調べる必要が起ります。

あなたなら喫茶協会の名簿をとり寄せてお調べになりますか、それとも電話帳の職業別のなかから、喫茶の部をおひらきになられるでしょうか。

大阪の喫茶店数を電話帳で調べてみますと、なんと驚くではありませんか、一万二千軒以上もあるのです。そのなかでローマと名付けられているお店は三軒しかありません。が、かりにあなたが喫茶店攻略をとお考えになるだけでも大変な数となるでしょう。

一万二千軒全部を占拠できないとしても、十分の一とお考え頂いても厖大なものです。これは愉しみなことといえるのではないでしょうか。

とくに完成品をテレビの上の空間に飾って頂こうというアイデアを引出せば、全国のアートプラ店が必死になって制作しても追いつかなくなるのではないでしょうか。

とにかく顧客を探せば無限といえるのではないでしょうか。

ローマ・ギリシャの軍船の完成品を売るためのアイデアを出せば、もっともっと広く深く存在するでしょう。

あなたのまわりをぐるりと見渡すだけでもあなたの親族のなかに、あなたの友人のなかに、そして知人のなかに販売の鍵を握っておられる重要人物がおられるかもわかりません。より多くの人間関係を分析し、テッテイ追求することも、販売のアイデアに結びつくのではないでしょうか。

あなたの手づくりによる作品の価値は、あなたご自身でPRし、熱意をもって展開すれば、必ず売れることは請合いでしょう。

完成品の販売で大いに儲け、新しい商いを興すよう努力してみて下さい。

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(ホビーへの誘い)ホビー時代はいつくるか

レジャー時代という活字や、レジャー時代という声が巷にハンランしはじめると、レジャー産業なるものがブームとなり、変幻自在な大企業などはぞくぞく転換し、浮足だった人々は、ノアの箱舟に乗りおくれまいと騒ぎたてたイニシエ人のような慌てかたである。

週休二日制の浸透は、すでにホビー時代に突入しているような錯覚を受けるけれど、ホビー時代の訪れは、余暇時代という馬鹿騒ぎが静まったあとではなかろうか。

ホビー時代は趣味の時代というような狭いものではなく、すべてのあそびの要素を含有した広大な世界であり、それは精神的にも素晴しく充実したものであろう。

これからの余暇時代は、人間が自己との対決、つまり内部との戦いの時代だといわれている。なぜおのれと戦わなければならないのであろうか。それは労働する時間と、あそびの時間(自由な時間と解釈してもよい)とがおなじくらいになり、独りの時間がより延長されるからである。

あそびと仕事のうちどちらが愉しいかと尋ねると、ほとんどの応えは、そりゃあそびに決っていますよ。となる。人間であるかぎり仕事よりあそびに興味をもって当りまえであろう。

深夜マージャンする人

会社ゴルフする人

パチンコする人

現代のあそびに熱中している大人の無邪気で、真剣な表情からは、仕事をするときの姿を連想するのはむつかしいという。なぜならあそびほどたのしく、激しく、厳しいものは見当らないからである。

元来あそびという次元においては、こどもでも大人でもそう差異のある筈はないとされている。あそびのときはみな汗を流し、顔を真赤にして熱中するのだ。

ホビーはあそびのすべての条件を備えているとなれば、ホビー時代の到来には大いに期待してよいのではなかろうか。

ホビーがあそびと同質であるだけにたのしくもあるし、興味も湧くが、そのホビー時代の広大な市場を先取りしたり、君臨できるのはわれわれホビー関係者である筈なのに、現実にはプラモケイという木の葉になって、余暇時代の奔流のなかを流され漂っているのだ。

ホビー時代を先取りすることは決して容易なことではない。なぜならば未来への洞察力をもたず、ホビーへの可能性すらたしかめようとしないわれわれの頭上を時間は容赦なく通り過ぎるからである。

ホビー時代にわれわれの存在を位置づけるためには、時間と競争するぐらいな、いや時間をとめるぐらいな気持ちで努力すべきではなかろうか。

ホビーのあり方を認識するためには、残された時間、猶予の時間はないといえるだろう。

 

最近日曜大工さんなる趣味人が可成りな数にのぼっているという。

土曜、日曜日以外の余暇の時代に日曜大工さんといわれるホビー人は、それこそ寸暇をも惜しんでノミを使い、そして研ぎ、そして目立屋に走り、自ら納得できる仕事をする迄技術を磨くことに専念しているという。そのうえ外出の機会でもあれば、必ず著名な金物店へ立寄り、より優れた道具を蒐ようと躍起になっているという。

むかしの名のとおった職人たちの体験談を拾い蒐めたり、個性あるノミの彫り方の技法を編み出そうとして精進する姿は、余暇人間だけに異状にさえ映るのだ。しかしホビーなるものがあそびの領域に含まれているものだけに、それは異状さではなく真剣さとして理解すべきであろう。

余暇を与えられた人間が、その余暇なる時間を埋めるために必死に働いている姿、寸時をも惜しむ姿は、傍からみる限り全く滑稽であるとしても、一生懸命に取組んでいる姿は美しく、真摯な姿は尊い。

ホビー人間の特長が、ものごとにひたむきに取組み、純粋な眼と心をもつものであるとすれば、ホビー時代には過去と未来が合流するのではなかろうかと錯覚させられる。

日曜大工さんたちが、あそびという感覚のなかで、独自な技能を会得するということは大いに期待できるし、そのうち左甚五郎を上廻る大技術者が出現するかもしれないだろう。

プロとアマの差異は、職業意識のありようで決るし、仕事の量、つまり経験の差が圧倒的に異るということで決るという。それはプロ野球とか、大相撲などをみればよくわかる。

最近ではプロが絶対強い筈の大相撲でも、学生出身力士が強くて、相撲界出身の力士には小手先だけの技が目立つようになったと、相撲解説者あたりがぼやく根拠はどこにあるのであろう。

それは学生相撲では永い間基本をみっちりと教えこむのに反し、相撲界では基本練習をおろそかにしはじめている風潮に基因しているというのだ。

プロがプロでなくなったときその魅力は喪失する。

職人といわれる基本の大切な社会でも、そのような状況はどんどん進展している。とくに古い棟梁さんの間では、最近の若いもんは仕事に熱が入らんので困る。というぼやきが多くなったという。

人手不足などから、若者を神様扱いにしたり、辞められたら困るというので厳しい指導を怠るという要素が一ぱいある。二十才台の大工見習が一人前の給金を頂ける結構な時代には、電気カンナや、電気ノコギリを扱う能力さえあればよいのであり、あとはプラモケイを組立てるような手順で家は建つのである。

現代建築のなかに職人的技能の入り込む余地はないと否定すればそれまでであるが、若い大工さんたちの腕は低下しているというよりは、大工さんのレベルが想像以上に低いところにあるといえるだろう。

ここで大工さんと、日曜大工さんとの比較が生れてくるのである。

前記したとおり日曜大工さんは、あくまで素人であり、趣味であり、あそびの範ちゅうに属している。が、あそびに等しいから、そこには負けられない。より上手に作ってやろうという競争心や、闘争心理が介在していることも否定できないし、それは可成りな執着心へとつながるものである。

眼の色をかえ、汗を吹出しながら仕事に没頭している姿などは職人さんたちの間では見受けられなくなり、大工さんといえば煙草をふかしているか、おやつを喰べているか、破廉恥な話をしている姿しか想像できなくなった現在、少しの時間を惜しんで仕事と取り組む日曜大工さんの姿勢なり、気魄なりは、どのように評価すればよいのであろう。

次に余暇をもち、日曜大工にでも取り組もうと考える人間は、豊富な社会経験をもち、認識力、理解力なども充分に兼ね備えた有能人であるということは、手っとりばやく金になればよいと考え大工志願した若い大工さんとはすべてにおいて大いに異なるに違いない。

ゴルフや、マージャンや、フイッシングする研究熱心さで日曜大工などに取組むと考えると、たちまちのうちに基本を覚え、現代の若い大工を凌駕するではなかろうか。

家を建てる、ビルの建築をするということが、プラモケイの組立のように簡略化されてきた現在、若い職人さんたちがぼやぼやしていると、日曜大工さんたちにプロの座を明け渡すときがきて、日曜大工さんの指導のもとでプロ大工さんたちが雑役夫のように使われることも想像できる。

近所の自転車店主よりも、子供たちのなかに自転車の解体と組立の巧みな連中が多いという現実も、可成り象徴的なことである。

先日もある子供が店先においてあった自転車のハンドルを奪われた。それは自転車泥棒ではなく、自転車のハンドルを分解してもち去ったのである。

その見事さには、話を聞いたわたしは吹き出してしまった。ハンドルのない自転車をみれば、怒りよりもまず笑いがこみ上げて当りまえであろう。自転車を盗むというよりは、更に至難な芸当をやってのけるユーモアと、技術には、わたしをして現代っ子を再認識させるに充分であった。

日曜大工さんと、職人さんの技能が相並んだときこそ、ホビー時代の到来ではなかろうか。

マニアの技能が、モケイ店主を超えている現在のモケイ界は、すでにホビー時代の尖兵として突入しながら目標を失い、おたおたしているのではなかろうか。

ホビーという巨大な流れのなかに奔騰されながら、過去というよどみのなかへ流されていく木の葉になってはならない。

なにはともあれホビー時代は、われわれのすぐそばにきているのだ。

 

脱稿してから暫くして三月十八日付の流通新聞に「ホビー」について載っていた。そこには、

米国の居間に咲く巨大産業 十兆円市場、主役は手芸

、という見出しがあった。

そしてホビーこそ、文明の高度化とも深くかかわっているようだ。と結んであって、大いに気を強くした次第である。

 

<ホビー時代の到来か>

アメリカでは巨大産業に発展し、家族ぐるみで楽しむ傾向にあるという。

アメリカではすでにホビー時代ははじまっており、キット製品などでも大人、子供の割合は、余暇時代をはっきり反映している。またクラフト製品の男女比では、男性四に対し、女性六の割合で、女性が圧倒的に多いのも興味深いことである。

余暇が今迄以上に拡大されるに従い、ホビー商品の需要もたかまるだろう。

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塗ると描く

塗ると描く

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『大和』土佐堀川をいく

戦艦「大和」

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作家シリーズ)佐藤敬介さん 菅谷一さん・・・・・・宮脇童平

佐藤敬介さん(42) 製麺販売業

佐藤敬介さんは、アートプラ作家として私の認める唯一の人である。

どのような素材でも巧みにこなす能力は抜群であり、作品に取組む純粋さと情熱には、心をうたれる。

青年時代、美術学校進学希望だったというから、美に対する執着力には敬服させられる。

温和しくみえる性格のどこに、あの旺盛な制作意欲が潜んでいるのか不思議な作家である。

私の開発したアートプラは、佐藤さんの励ましによるところが大きい。

 

菅谷 一さん(41) 鉄鋼会社勤務

帆船を造っても、鉄砲を制作しても、水中銃を考案しても実に巧みである。日本刀を鍛いあげても、サヤから鍔の彫金にいたるまで自作されるのであるから、ホビー人間の元祖のような能力の持主なのである。

趣味として完成させた作品を、思い通りの価値をつけて販売できる数少ないプロ作家であるといえる。

今後の精進で、ホビー人間の進化を大いに発揮して頂きたいものである。

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(小売店訪問)杉山教材店 関モケイ店 ぶんけん ボークス

杉山教材店 静岡市曲金

杉山順作氏、この有名人にありそうな、なさそうな、また耳なれた名まえでありそうななさそうな人が、杉山教材店主である。

海洋堂が潜航した四年間を、海の上からたえず誘導して頂いたタッグ・ボート的存在であり、バイタリティ溢れたおやっさんである。

なんでもやってやろうとばかりの好奇心旺盛なところは、私たちなかまと共通するところがあり、とくにアートプラの条件づくりには、多くの助言を頂いたことをここに広告しておきたい。

ホビーの認識と把握力は抜群であり、その展開力も巧みで、承認的感覚はとくに優れていて、お教え頂くことばかりである。

杉山教材店そのものが、偶然にもホビー店としての条件を内包していることは、杉山さんの古いモケイ歴と商い感覚が触合しているせいで、自然発生的なものであろうか。

プラモケイの方はお嬢さんが主力的に扱っておられるが、その素晴らしい商い感覚は、お父さんゆずりなのであろうか。

制作と販売を両立させるモケイ店主も少ないなかで、若い女性が両立させているのは珍しい存在である。

モケイ好きな杉山さんが、教材を長男の裕一君に委ね、本格的な商いに取組まれるという。期待して見守りたいものだ。

店内にはアートプラによる作品が多いのもなにかを示唆して愉しい。

 

関モケイ店 高知県土佐市

関さんは、高知市から自動車で二十分ばかりの土佐市高岡町商店街のなかに、モケイとお醤油を営んでいる。

現在はおやじさんの代から受けついだ醤油の販売と、プラモケイの商いを半々という、全くケッタイな組合せのお店である。が、われわれは関さんの根っからのモケイ好きと、ホビー店への意欲をたかく評価しているのでとくにご登場頂いたのである。

商いの価値は、これから先どのような伸展をみせるかということで決り、未来への可能性で評価すべきものであろう。

モケイ好きな関さんが、地理的不利をどのように克服し、商いの組合わせのアンバランスをどのように調整するかもこれからの課題となるだろう。

ホビーの座談会のときは、終始控目にされていたけれど、帰る間際の言葉に私は、商いに対する執念を覗いたように思い心強かったのだ。

「これはという作品を、ぜにのとれる商品づくりに没頭してみて、納得できるものを制作して、それをみやげに、みなさんのお話の場に加えて頂こうと思います。」特徴ある土佐なまりではあるけれど、これこそホビーの商いを志す厳しいことばといえるでしょう。

好漢関さんのアートプラの技法の習熟と、アイデア溢れた販売展開に期待したいものである。

 

ぶんけん 東京都

「ぶんけん」の由来は、Culture Buildingからご主人が造った新語だそうである。

「いつまでも耕しつづける」という意味をもち、それを創立の精神にしているところなどは心にくい限りである。

先日海洋堂の主催したホビーの座談会のとき、お昼すぎから深夜の三時頃迄、ぶっつづけでお話を交換したけれど、その時の真剣さというか、商いに対する情熱には頭の下る思いであった。

座談会のなかでも、理論的な攻めは実に見事でありながら、商いの間隔も鋭く、鮮明と読めたのである。

おのれの商いを盛大にし、おのれの仕事にほこりをもつことは、オトコとして当然の努力であるけれど、私たちの業界には、その努力すら放棄したかのような商人ばかりなのだ。

「ぶんけん」さんは、従来の商いをホビーへと拡大される叡智と、フワイトの持主だとお見受けした。

あとからお齢を聞いて驚いたけれど、なにかをやろうという気魄は、若い商い人を圧倒するに違いないだろう。

創業の精神を支えにして、ホビーへの先覚者的才能を発揮されることを待望してやまない。

先日お店とは別なところにアトリエを設けられたというお電話を頂きました。商品になる作品の輩出を期待させて頂きます。

 

ボークス 京都市

「大衆のために」という理想を店名として掲げてモケイの商をはじめ、五ヶ月にしてなぜ大衆を捉えられないのだろうか。と自問自答する二十五才の若き商い人である。

ホビー経営者は、よき協力者つまり、妻の積極的支援の得られないものは成功しないというのは私の持論であるが。が、素的な恋愛のうえに結ばれた若い奥さんも、けなげに、甲斐がいしく商いしている姿はほほ笑ましいかぎりである。

対談や、寄稿文でボークス氏の輪郭を捉えて頂ければと考え、詳細は省かせて頂くけれど、マニアあがりとしては、プラモケイ専門店経営への気概はまことに見事である。

店先にぶら下っている各メーカーのマーク看板すら、ペンキの手がきというに至っては、その努力は大いに評価されるべきではなかろうか。

プラモケイに情熱をたぎらせて、マニアから商い人となった若者を処遇できる基盤はあるであろうか。

若い人たちに夢と希望を与えられない商いに未来はないのだ。

ボークス氏夫妻のひたむきな商いが、大きく実を結ぶためにはどうすればよいのだろう。

最近アトリエを設け、制作に没頭しているという。プロへの道は厳しいけれど、商いの基本は素朴なところにあるのだ。大いに苦しみ、悩みたまえ。

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特集アートプラ

 

アートプラとはなにか・・・・・・宮脇童平

アートプラとはなにか。とおたずね頂いても、アートプラとはプラのアート化としかわたしにはお応えできない。

ご承知のようにプラモケイは十年以上に亘って流行してきましたけれど、それは流行というよりは一部の熱心な大人を除いて子供たちのなかでよどんできたのだ。といい切れるのではなかろうか。

プラモケイが新しい素材に、斬新なる金型制作による同一種類のものを、大量に輩出できるという全く画期的で、現代的な条件をもちながら、なぜ活力を失い、よどみはじめたのであろうか。

一部の大人を除いては子どもらのなかに画一的平板な興味しか与えられなかったことで、大衆のなかに浸透できず、おなじところを堂々めぐりしはじめたところに要因があるように思える。

プラモケイがなぜ大衆性を備えられなかったのだろうか。これは多くの識者の自問自答するところであるが、すっきりした応えは見当らないようだ。

次々に大量に型打ちされるものであるかぎり、それは大衆性を備えて当りまえであるのに、なぜ一般には認められなかったのであろうか。

わたしは思う。

プラモデルが大衆性も、それ以上の価値をも付加できなかった最大の要因は、第一に組立なるものがいかに複雑に仕組まれても、積木細工を接着するのに似た行為の繰返しであること。

第二に色づけが、まるで塗装見本をみているようにすべてが分析されたり、規定されていて、興味に乏しいこと。

第三には完成されたものが、作品としての価値の持続に乏しいこと。

 

プラモケイそれも帆船づくりを四年間つづけてきたわれわれは、プラモケイが以上の三つの要因があり、それらはプロ作家の輩出を拒むだけではなく、大衆のなかに浸透できないことを認識したのである。

プラモケイの完成品をみた瞬間はたしかに感動させられる。それはなぜか、それはひたすら一生懸命に制作しているからである。

しかし、その感動が永続しないのは、作品のなかに個性が表現されていないからではなかろうかと考えたわたしは、プラモケイのなかに絵画的な要素は注入できないものであろうかと考えたのだ。

以来四年間われわれは世界中の著名な帆船プラキットを蒐め、毎日のように制作に没頭したのである。

帆船を素材として個性を表現する。そのためには、どのような要素を注入すればよいか。われわれは毎日のようにあらんかぎりの能力を帆船へぶっつけた。

完成した作品に自ら感動でき、それはまわりのものの眼でたしかに受けとめ、心に響くようになるまで、真摯な努力をつづけた。

はじめは絵画的価値という大それたことよりは、装飾的、工芸的条件を付加できて、その作品が売れればよいと卆直に考えていた。

アートプラなる条件を出すために、美術工芸書を漁り読んだのもその頃である。

三年まえになると、われわれの帆船はよく売れるようになった。

一隻二隻売れるときは偶然かとも怖れたけれど、何十隻も売れる頃から自信もつきはじめた。

真剣に制作し、必死に販売した。芸術の領域では作品の良否は、すべてその真摯さによって決るといわれているのだ。

おなじ帆船を制作してみても、一作一作に個性らしきものが表現できるように、一作ごと感動性を増していったのである。その頃帆船キットは素材、つまりキャンパスであるという発想が生れたように記憶する。

わたしは、一作一作、おなじ帆船を制作してもそのなかに段階的な進展性があることに興味を抱いた。

従来のプラモケイでは、おなじものを二つも三つも作るなどは考えられず、異った素材でも段階的なものが望めなくて、すぐ行き詰ってしまうからである。

 

アートプラでは、絵画の筆に相当するものは、手動用スプレーである。何本も、異った塗料の入ったスプレーを、筆のように駆使することで彩色技法を展開するのであるから、そこには当然絵画と同じく絵画を塗りつける技法のなかでの経験と、そこに発生する状況の把握と、記憶が最も必要となるのだ。

プラモケイの素材は、あくまでキャンパスとみなし、どのような形態をもとうとも、そこにモチーフを定め、個性を表現しようと技法を展開するのは、うるし塗りなどの伝統工芸などでもみられるものと共通している。

アートプラのアートプラたるところは、彩色技法を思う存分に駆使できる面白さにあるといってよいだろう。むかしから大芸術家と呼ばれている人々は、みな優れた彩色技法家であるといわれているところからも、アートプラは興味深い対象ではなかろうか。

色の変化や、抑揚などを手動用スプレーで表現することが、アートプラの真髄といえるものであれば、アートプラは完全に視覚にうったえ、心にうったえかけるものでもあるかぎり、光と影のもたらせる条件をも見逃してはならないだろう。

これからは「ローマの軍船」や、「ギリシャの軍船」のように、アートプラの素材にふさわしいものが次々に現われ脈やかになるだろう。

アートプラは、プラモケイから派生した進展的条件であり、二段目ロケットの役割を担って、大衆のなかに突入しながら、徐々に芸術性という加速力を増しながら伝播性をも果してゆくであろう。

アートプラは、いまはじまったばかりである。

アートプラは、また新しいモケイ道の新しい発見でもある。

誕生したばかりのアートプラの育成は、あなたの掌のなかにあるでしょう。何卆アートプラへの興味をお持ちになられるように期待して、アートプラとはなにか。の応えにかえたいと思います。

 

プラモケイの工芸化という事で各地で流行しているアートプラではあるが、最近は特に女性の間で大変人気が出てきた。各地で催されている女性向の講習会も非常に好評で、お茶、お華の域に達するのも、そう遠い日ではないだろう。

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アートプラによるローマの軍艦の価格

よくご同業の方々や、一般制作者からアートプラの完成品を、どのくらいの値段で売ったらよかろうか。という質問を受けるようになった。アートプラの歴史が新しいだけに、価格の決め方はむつかしい。

ローマの軍船のブロンズ仕上げを十万円と仮定してみた場合、顧客はどのような反応を示すだろうか。

ある人は高いと思い

ある人は安いと思い

ある人はまあまあであると思い。三者三様であるところに価格の不安と、期待がのぞいて興味が湧く。

アートプラの歴史が浅いだけに評価の基準があいまいであって当然であり、そこに制作者としての経験と、能力が大きくものを云う結果となる。

ローマの軍船の素材の値段が一般に理解されているかぎり、どなたでもおおよその検討と計算はできるのではなかろうか。

キットが千二百円、彩色材料その他の費用千円、ケース代金が五千五百円であれば、計七千七百円となる。

そこで丸二日がかりで制作に没頭したとしても、一日の手当てを五千円と計算して二日で一万円であり、合計一万七千七百円となる。

一日の手当の五千円は、勿論職人の報酬で考えてのことであり、時間はそれの倍ぐらいになるから、二倍としても二万円である。

以上のように材料費から労働報酬まで細かく分析されると、十万円はとり過ぎのような錯覚に陥入るけれど、アートプラは単なる労働的原価計算から割出されるものではないのだ。

なぜならアートプラを制作するには、その他諸々の費用が圧倒的に多いからである。

アートプラを会得するまでに修練を積み重ねた埋れた長い時間、数えきれないほどの失敗作、ケースの破損、書物の購入費、アトリエの維持費、家賃、カタログ制作費、運送費などと数えあげれば果しなく加算されるであろう。

あなたが、あなたご自身のお考えで価格を決め、その作品を次々に売ったとする。十隻も二十隻も売れるようになれば、あなたの作品の評価は決りつつあるのだ。

あなたの決めた価格どおりに売れはじめるとなれば、あなたの作品はあなたの個性によって裏付けされはじめたといえる。

そこでアートプラの価格は、材料費プラス職人的消費時間プラス、アートプラ作家としての報酬を加えたものであり、すべてはあなたの個性と、技術と、経験によって決るだろう。

あなたの作品価値は、あなたの精進と、創造性にかかっているからには、ローマの軍船の制作に没頭されることをおすすめする。

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アートプラを商う-海洋堂商法あれこれ-その1・・・・・・酒本昭紘

 

■セールスをはじめた理由

プラモケイキットをセールス販売したことは、PR誌「海洋」でもたびたび発表させていただきました。が、アートプラをどのようにセールスしたかという経験などは、まだ発表したことはありません。

そこでこれからは、毎号連載形式でぼくの貧しくて乏しい商いの記録を発表させて頂きたいと思います。

未熟なセールスでございますので、お気付きの点がありましたら何卆ご指導、ご叱責下さいますようお願い申し上げます。

 

なぜセールスするのか。と質問を受けたと仮定いたしますと、お金が欲しいからですと卆直にお応えできます。

そこでなぜお金が欲しいのや。と問われれば、ぼくらの夢や理想を一日もはやく現実のものにしたいためです。とためらいなくご返事を差上げることができるのです。

ぼくら海洋堂の商いの夢は、海洋博物館の設立であり、理想はすべてを網羅したモケイセンターづくりであるのです。

そのためにはいつも新しい商いのためにアイデアを奔出させ、若さにまかせて行動しなければなりません。ぼくらにはどのように多く稼いでも、稼ぎすぎ儲けすぎということはありません。が、働きが鈍いせいか儲けがすぎるというところまで到達できないのは、商いのけいけんが乏しいせいでしょう。

しかし最近になって儲けれるのではないかという予感がいたします。なぜかと申しますと、ぼくらの提唱するアートプラの条件は、セールスするに恰好のものと思えるからです。アートプラによる帆船は、ぼくの経験からしても必ず売れるものという自信があるのです。

是非共新しい商いのなかへお加えになられることをおすすめいたします。

 

■どこを、なにを狙うべきか

セールスするかぎり、まず商品に合ったところを探し狙い、狙いをつけたら訪問するチャンスをうかがうことは、過去の兵法者の示すとおりです。

しかしセールスを成功させるためには、まずぼく自身の運びこむ商品、つまり帆船のことをよく識っておく必要があります。

帆船の年代やら特徴だけではなく、アートプラによる彩色技法による作品価値なども、僕自身で充分納得しておかねばなりません。

この帆船やったら買うてもらえる。

この帆船やったらほこりを買うてもらえる。

この帆船やったら向うさんに喜んで貰える。

以上の三つの要素がぼくの内部で自信となって腫れあがると、いざ出陣ということになり、蒐めたデータを基礎にして戦闘開始となります。

セールスしはじめの頃は、売りやすい、手頃な大きさ、手頃な価格の帆船を商いました。

セールスの大賞も三流から二流どころの会社の社長さんを狙いました。こう云っては失礼ですけれど、三流から二流どころの社長さんたちは、今迄は工芸品など観賞する心の余裕もなく、ひたすら働きつづけてきたという経歴の持主が多いと考えたからです。

なぜかと申しますと、四年まえのアートプラによる帆船は、技術的にも、表現的にも未熟なところが多く、かろうじて商品として認められる程度という哀れな存在だったのです。

正直申しまして、不安ばかり抱いたセールの毎日でした。

案ずるよりうむがやすしとか、どの会社の社長さんにも、お逢する段どりさえつけば、必ずお求め頂けるようになりました。瞼を閉じればはじめの頃の悲愴な思いが、みじめな姿が想い出されます。

一作一作運び込めば売れるのですから、そのたびに勇気百倍、制作の方にも意欲が湧き個性ある作品となりました。一隻一隻の帆船に愛着が湧きはじめると、セールスする態度にもおのずから迫力が増しました。

セールスへの自信は、制作面にも不思議なくらい余裕がうまれ、台座にする地図の表現や、ケースと帆船とのバランスを考えたり、それらはアートプラとして今日完全に立体構成されたものへと進展したのです。

 

■むかしの画学生の苦労ばなし

これは海洋堂のおやじの口癖ですが、むかしの画家のタマゴたちは、いつも貧しくて絵具すら買えない状態の者が多かったそうです。

長髪をたらし、よごれたよれよれの服を着けていた画学生たちは、自ら描いた油絵を小脇に抱え、この人やと狙いをつけた会社の社長さんを狙い、総務課や、秘書課などといううるさどころを突破して、絵を売るだけではなく、意気投合すれば永久に後援者となってもらうのです。

そのこびるでもなく、かと云って自信作でもない絵を売りつける画家のタマゴは、きっと未来の可能か、夢を売ったのではないでしょうか。

むかしの画描きのはなしは、ぼくのセールスにいろいろと勇気づけてくれました。

これからも真剣に取組みますので、未来を買ってやって下さい。とぼくも心のなかで誓うように心掛けました。

それは海洋堂の夢と理想を商うということにつきますし、ぼくらの理念にも合致すると思われるのです。

多くの障害を、まるでラグビー選手よろしく突破いたしますと、あとはご本人にお逢するだけで商いはすらすらと運びました。

どの社長さんでも、トップになられたお方にはそれぞれの信念なり、個性なり、感動性なり、人生哲学をお持ちになっておられますので、夢とか、理想などをお求頂けたのだと思われます。

四年の間には、指折り数えきれないぐらい仰山な社長さんとお逢いし、沢山な帆船をお求め頂きました。

それぞれの社長さんとの出会いや、商いの成功にはその折りおりの感動を頂戴し、学ぶところが多くありました。

これからもぼくらは、より優れた帆船づくりを目指すだけでなく、一日もはやく夢と理想を実現させることで、お世話になった方々のご厚意にお報いしたく思うのです。

ぼくの未熟なセールスを毎号連載することは、まことに心苦しいのですけれど、これから新しい販売戦略をお編みになるのに少しでもお役にたてば倖せです。

 

■盲目の社長さんと骨とう品

いろいろな会社を訪問していますと、変った社長さんに遭遇しますし、それぞれに個性的であり、お逢いしてお話を頂くだけでも経験の乏しいぼくには勉強になることばかりでした。

街を走っていても、りゅうとした外車をみつけると、すぐさま行先迄尾行して相手方をメモしておくのも、ぼくの顧客発見法の一つでした。

あるとき商談の成立したあとで、骨とう好きな盲目の社長さんのお話を頂戴し、早速訪ねてみることにいたしました。

なんぼ骨とう好きな社長さんやいうても、メクラやったら帆船の形を捉えれないだろうから、無駄足におわるのではないかと思いました。が、日が経つに従って、ひょっとしたら、買うてくれるんやなかろうか。と思うようになりました。

テレパシーというのでしょうか、めくらの社長さんにお逢いしてみようと予定をたて、心眼にうったえられるような帆船を意図して制作にかかりました。

盲目とはいえ、何百人もの社員を使っておられるかぎり、並の社長さんとは違うかもしれないぞ。と期待に胸が脹れあがったときぼくは、突然社長さんを訪ねました。

二眼がみえなくても、わしはキャバレーで女の子を賞でることもできるし、陶器などの色や、艶を鑑定することもできるんやで。そりゃめくらの不自由さはあるが、それでもめあきほど不自由はせんようや。眼がみえんと、きたないもん見んでええさかい、いつも心がさわやかで結構なこっちゃで。

お逢した瞬間の印象は、お言葉どおりすべてがさわやかであるということでした。

一般のめあきさんにも、これほどさわやかな方があったであろうかと思われるほど、その社長さんはさわやかに映りました。

ぼくの運んだ帆船のケースの縁を手でさぐり撫でていかれる社長さんは、なかなか心のゆき届いた作品ですね。と仰言って、帆船のことを次々に質問なさいました。

ぼくは帆船づくりの苦労ばなしや、帆船の価値について、ありったけの知識をさらけ出しました。お話することがなくなったとき、ぼくの全身の力が抜けていくように思いました。なぜなら社長さんにすべてを吸収されたかのように思われたからです。

それでは明日の夜にでも、奈良の自宅に運んで下さい。

即座に小切手を出すようにお命じになられた社長さんは、両の掌でなん度もケースを撫でまわされていました。

心の眼というものが実在していたのです。会社を出て車に座ったときぼくの体は汗でぐしゃぐしゃになっていました。

心眼をもつ方に帆船をお求め頂いたからには、心眼に晒されることのない作品づくりを心掛けねばと決意すると同時に、盲目の社長さんとの商いを成功させたのだという感動で胸が一ぱいになったものでした。

盲目なるが故にめあき以上の観賞能力を心の眼として備えておられる社長さんとの商談は、今迄のセールスのすべてを吸収されたような爽快な商いであったようです。

ぼくらはこれから先、より優れた作品が出来たときは、真の心眼にお応えできるものとして、再びお訪ねしたいと思っています。

 

■帆船を売るためのアイデアとポイント

多くの障害をボールを抱えたラグビー選手のような勇猛心で突破して、ようやくの思いで社長室のなかに帆船をもち込む。

セールス相手である社長さんがおどろき、そして帆船に感動しながらも、どうしたもんやろかと迷っておられるとき、

精一ぱい作った帆船です。すべてが手作りの帆船です。ぼくらの真剣さを、個性ある帆船をお買いあげ下さい。

と、すかさず声を大にして、作品の特徴なり、優れたところを素早く説明できなければセールスの失格でしょう。

セールスを成功させる最大のコツは、売る商品の価値を熟知していて、相手に対し臆面なく、はっきりしゃべれることが大切です。

次にはぼくがアートプラによる帆船を売った経験から、とくに役立つと思われるポイントの説明などを紹介させて頂きます。

 

1 この手作りによる帆船をよくご覧下さい。光と影による色彩表現はとくに見事です。

2 この帆船の制作の場合、とくにロープ張りに神経を摩耗いたしました。これが糸の切り屑です。切り屑だけでも、このように沢山できるのです。

3 ロープ張りは、帆船を生かしも殺しもすると申します。そこでぼくらは麻糸をとくにつむがせ、それを一本一本手染めにするのです。

4 この帆船は、社長さんのお室にぴったりです。このように立体的な装飾品はそうざらにございません。

5 帆船は人間の叡智を結集した最高傑作として諸外国では重宝がられます。きっと毎日のご鑑賞にも耐えられます。

6 この帆船の彩色技法は、ぼくらが永年に且って開発したものです。このブロンズの帆船から海の匂いがしませんか。

7 ロープの複雑さにくらべ、すっきりした船体のカーブは如何なものでしょうか。すぐれたデザイン感覚といっても云いすぎではありません。

8 このケースも全く新しい感覚と重厚さをとり入れたうえに、どこにもないという技法をとり入れました。帆船がよく映えます。

9 社長さんは海はお好きですか。そしてどのようにお考えですか。そりゃそうですともどなたにも郷愁はおありでしょう。海と船は日本人にとり、とくに社長さんのような創造人間にとりましては憩そのものの筈です。

10 帆船はロマンと行動のシンボルです。この帆船こそ社長さんの夢と合致するものではないでしょうか。

11 帆船による装飾品には、現在このように社長さんの観賞眼に耐え得るものというのはそうざらにはございません。

12 社長さんがすでに絵画を沢山お持ちのように、この帆船であれば何隻もおもちになられても不思議ではございません。

13 この帆船のロープ張りに使用している滑車は、全部でいくつ使ってあるとお思いですか。当ててみて下さい。

14 現在ぼくらに競争相手はいません。強いて競争相手を求めるとすれば、世界の海洋博物館にある帆船を、三百年も四百年もまえにつくった職人さんたちでしょう。

15 この帆船の表現のなかには、海に落ちる太陽と、燃える海の鮮烈さが、作者の情熱として表現されてはいませんか。

16 そうです。仰言られるとおりです。帆船の最大の価値は、全体的なバランスと申しますか、造形の美しさにあるのです。

17 さすがに社長さんですね。ロープ張りの緊張感は帆船独自のもので、帆船のいのちです。ぼくらは点と線による空間芸術と申しています。

18 台座の世界地図は、銅板を腐蝕させたものです。銅板の緑しょうが、海を古典的なものを象徴しています。

19 社長さんの仰言られるように、この角度から眺めますと、いまにも海賊たちが動きはじめるような錯覚が起ります。本当に帆船をみていますと想像の世界が大きく広がります。

20 このアイデアの固りのような帆船を、是非お側に飾って頂いて、創造力の喚起にお役立下さい。

21 このような大きな帆船のほかに、創業記念品や引出ものなどに最適な帆船もありますので、これを機会にご利用下さい。

22 帆船の飾りものは、日本では珍奇に属します。装飾品の未来を先どりして頂きます。

23 海洋博の到来と共に、帆船ブームとなります。この機会にお求め頂きたくおすすめします。

24 この帆船をお求めになられた社長さんは、装飾品に対するご認識では、まさにコロンブスに匹敵します。

25 この帆船は、ぼくらが真剣に制作いたしました。縄ばしごや、ヤード一本一本にまで愛着があります。ぼくらの心を是非お求め下さい。

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ラ・フオンティーヌの寓話より サルとイルカ

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ラ・フォンテーヌの「寓話」は、私の好きな読みものの一つである。

イソップから材をとり、現代のわたし共の周囲にも、たえず起っていそうな話には興味がつきない。

「サルとイルカ」のはなしも、われわれモケイ界に渦巻いている多くの問題を内包し、それを提示しているようで考えさせられることばかりである。

サルにはなりたくないと思うけれど、われわれもサルの浅智恵程度のところで、商いをすすめているのではなかろうか。

お忙しい商いの合い間に、吻っとされる時間でもあれば、ラ・フォンテーヌの「寓話」などでもお読みになられたら如何なものでしょうか。おすすめします。

顧客との対話などにも参考になることも多いのではないでしょうか。

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箱の空偉張りに並行して店舗は拡大されてきたか

美しく大きくなった箱

美しく大きくなったプラモケイの箱は、どなたによって歓迎されているのであろうか。

千円札三枚出せば、両腕で抱えるくらいな大きな美しい箱を、三・四枚の包装紙に包んだうえに、ナイロン紐で仰々しくしばってくれるのがプラモケイ店である。

買ったんや、わいは買うたんや。と巨大な箱を抱きかかえたお客さんは、大得意で帰途につかれるかもしれない。が、箱一つ空いた棚を見上げるプラモケイ店のおやじの手に千円札三枚、全く結構ケダラケ灰ダラケである。

美しく大きな箱を喜んで受けとめておられるのは、お客さんであるとすれば、プラモケイの箱は、購入者心理の欲求のまま美しく、大きく成長をとげたのであろうか。

お客さんが大喜びするのであれば、店が狭いから並べたり、積上げたりするのは困るなどとぼやいておれないのが販売店心理というものであろう。

むかしもいまもプラモケイ店の規模はそう大きい方ではないので、プラモケイの箱が美しく大きくなる傾向を喜べないのが現実のようである。

宝石入りの箱のように願くば、小さな箱を売って大きな利益があがれば効率よい商いになるとすれば、箱の巨大化へは批判的であってしかるべしといえる。

ここで大きな箱を競うように出したがるメーカーは、どのようにお考えになっておられるか探ってみよう。

美しく大きな箱をつくるためには、パッケージやデザインが重要になるだろうし、そのための研究費やデザイン料すらばかにならなくなる。大きな箱のなかに納めるキットは勿論のこと、大きな箱を傷つけないように移動するだけでも、それぞれ大手間を喰うだろう。まして箱詰めから発送にいたる段階では、より多くの手をとるに違いない。

そのように考えてみると、メーカー自体箱の空偉張りを喜んでいるとは考えられないように思われる。ならば運送屋と陰口を叩かれている問屋では、どのように考えているのだろうか。

朝から晩まで、つまり一日中巨大な箱の山を右から左へ、左から右へ、下から上へ、上から下へと、運んだり、積んだり、送ったりしている問屋であっても、大きな箱を扱うときは、額にカンシャク玉をのせているのではなかろうか。

 

箱はなぜいたずらに大きくなったのか

どのように巧みに箱を積み、並べようとしても店舗からはみ出る。と気付いたのは最近のことであり、箱だけが独り脹れてしまったような印象を受けるのはなぜであろう。

箱の空偉張りとは、日本人特有の上げ底なるイメージに結びつくことであり、わたし共まことに遺憾と思うところでもある。

中味のキットに自信がもてないから、完成品の出来栄えに期待できないからせめて、箱ぐらいは虚勢を張って、美しく大きなものにしようというのであれば、プラモケイの本質にもとるだけでなく、アイデアにおいてお先真黒なる状況といえるのではなかろうか。

箱の空偉張りを許すことは、企画の貧困によるものではなかろうか。なぜならば中味、つまりキットに対する自信があれば、箱に依存して商品を売ろうなどというちゃちな根性は起さない筈である。

このキットは必ず売れる。きっと喜んで頂けると、いう確固たる信念が企画者にあれば、いたずらにパッケージに凝り、それをきらびやかに、より大きく見せようとする誇張癖などある筈はないのだ。

プラモケイは素材であるキットで決る。外箱はキットを傷つけず傷めず格納するものであるというほどの、絶対ともいえる自信が企画者にあれば、パッケージのあり方もおのずから変るのではなかろうか。

プラモケイの価値の判断は、空気の量で決めるものなんか。と顧客のぼやきを聞いたとき、これは至言なりと感服したのがプラモケイ店のおやじである。

キットの占拠している部分より、やたらと空間の多い大きな箱は、外装ばかりに気をとられ、すべてに創造性の溢れているべきプラモケイの箱の活用法というか、格納に対する考え方はどこにも見当らないのだ。

一つのものを作りあげる素材を収めるプラモケイの箱にしては、余りにもお脳の使い方が乏しいのではなかろうか。とび出す絵本などというアイデアのある時代に、それこそ能がなさすぎるようだ。

プラモケイの価値は箱の大きさによるものではなく、勿論空気量の多寡にもあらずで、箱の中にどれほどのアイデアが注入しているかで決るのである。

さすが…………プラモケイノ箱だ。と納得させるような箱がプラモケイにあったであろうか。

そこで、やたらと大きな箱は、いかに美しく立派でも、わたし共の期待を埋めてくれたのであろうか。と首をひねってみても、ノウという応えばかり返ってくる。

プラモケイ店の狭い棚にでんと居すわる大きな箱。

うすよごれた店内にこれみよがいにのさばるきらびやかな箱。

他の箱を押しやるかのように角ばった大きな箱。

美しく大きな箱は、完成品のイメージからもかけ離れていて、だれの期待をも埋めてはいないとすれば、美しく大きな箱を製産させる元凶はだれなのであろうか。これこそプラモケイ界の怪である。クワバラ クワバラ。

 

箱のデザインが決ってから中味(キット)が企画されるのか

プラスチックモケイ見本市などでも、キットがなくて、パッケージデザインされた箱だけにお目にかかることがある。美しく大きな箱であればあるほど、より早く出廻るように思うのはヒガメであろうか。

プラモケイの企画が、パッケージデザインから発想されるなどというお伽話のようなことはあるまいと思われるが、いつも似たりよったりの新製品なるものを眺めていると、どうしても箱絵のイメージを優先させているように錯覚させられるから不思議である。

パッケージデザインが優先されるかぎり、箱はどうしても美しく大きくならざるを得ないであろう。という被害妄想に冒されたオツムでは、ボール紙の断片などを挿入したり、上げ底的に体裁を整えている箱に接すると、なるほどと納得するのである。

空間をボール紙で埋めるというにいたっては、プラモケイの本質にもとるというより、創造性をパックする箱にしては余りにも策がなさすぎるのではなかろうか。

なぜ小さくしよう、小さい箱で大きな利益を得させてやろうという努力をしないのか。これはわたし共プラモケイを商うものの、ひそやかな願望である。

このプラモケイ店主のささやかな、祈りにも似た願いを無視して、知らぬ顔の半兵衛をきめこむメーカーにおごりはないのであろうか。

モケイ店としてのほこりを失い、キットを売る意欲を喪失したわたし共が、密度のある、内容のある箱を期待するのは空しいことであろうか。

箱を小さくする努力は、優れたキットを輩出させるアイデアに結びつくとすれば、毎月吐き出される新製品なるものの十分の一でもよい、アイデアをぎゅうぎゅう詰めにした箱が現われても不思議ではあるまい。

箱の機能性について考えてみると、持ち運びに便利なものということにつきる。

お客さんのお持ち帰りに軽便なるもの

販売店の放送や、棚おきに便利なもの。

問屋の配送に、もち運びに手頃なもの

以上について考えるだけでも、美しく大きな箱は、完全に機能性を無視しているといえるだろう。

なぜならば、美しくても大きなものは、そのもろさで美しさが損なわれやすいし、大きなものは自己主張ばかりで扱い憎いからである。

美しく大きな箱を、美しく大きくみせようとすればするほど、店舗面積は狭ばり、売り上げの低下を招き、余分な神経を摩耗するように思われる。そこで機能性を考慮に入れた優れた箱の出現を待望するのだ。

 

箱の大きさに商いは比例するか

このインフレ傾向で諸物価高騰のときにあっても、十年まえ百円だったプラモケイは、現在でも百円キットであるという現実はなにを意味するのであろうか。物価抑制策に協力しているというよりは、卆先しているとばかりに喜んでおられるのであろうか。

プラモケイそのものが、すでに現代社会では見捨てられた存在なのであろうか。

箱を容器として使用する他の商いでは、プラモケイのように美しく大きな箱であれば、どの程度の価格を表示しているのであろうか。

プラモケイの三千円程度の箱には、洋服の箱がある。洋服の箱の中味には、一万円から十万円も、二十万円もの品物が詰っている。

洋服だけではない。他の業種の箱と比較してみる限り、プラモケイの箱がいかに奉仕精神に貫かれているかが理解頂けるというものである。

むかしのモケイ店主は、教育者に次ぐ指導性を備えていたという神話にちかい、伝説的なおはなしがある。がそれは技術と、奉仕と精神に溢れていたからではなかろうか。

現代ではいかに優れた技術をもっていても、奉仕精神を備えていても商い感覚がなければ、プラモケイ店の経営はできないのである。わたし共を愚弄するような箱づくりはやめて、せめて箱の大きさに価格も比例するように考えてほしいものである。

プラモケイ店がなぜ現代の商いから立ち遅れたのであろうか。と考えてみる。

十年まえにはプラモケイは時代の寵児であった。一つの金型さえ起せば、おなじキットがいくらでも成形でき、それはただちに大量販売へと結びつくという結構な商いであった。が、現在はどうであろうか。

十年まえも、現在も全くおなじ発想、おなじ企画のなかで少しばかり形類の異ったキットを性懲りもなく吐き出すことにより、過去の遺物的存在となりつつあるのだ。

この流動の激しい時代をわたし共は、十年一日の如くおなじキット、おなじ箱を売りつづけてきたのである。如何に箱が美しく大きくなったとしても、変り映えのしないのは、発想がおなじ次元に留っているからではなかろうか。

大きな箱を一日にどれだけ売れば、わたし共はオマンマにありつけ、自動車のガソリン代が浮くのであろうか。

一日の売上げを、三万円と考えてみよう。二千円の箱ならば十五箱、三千円の箱なら十箱を売らなくてはならない。二千円の美しく大きな箱が十五箱も消えると仮定すれば、プラモケイ店の棚はどのように変るであろうか。

美しく大きな箱が一日に十箱も二十箱も売れたとすれば、笑いがとまらないというよりは、気持ちが悪くなるのではなかろうか。なぜなら美しく大きな箱は、一月に五箱か十箱売れたら上の部であるからだ。

一ケ月に数えるしか売れないというよりは、年末年始の商いのときしかに活発に荷動きしないといわれている美しく大きな箱を、積み上げるほど仕入れる必要がないとすれば、美しく大きな箱の存在理由は奈辺にあるのであろうか。

プラモケイ店の拡張をたかめるために。

顧客を威嚇するために。

メーカーのPRをするために。

今日もまた美しく大きな箱は売れなかった。明日はひょっとすれば、ひょっとするのではなかろうか。という期待でわたし共は、店を閉めるときかならず、うらめしげに見上げているのである。

棚ざらししているうちに美しく大きな箱にもほこりがたまり、うすよごれたまま並べられて顧客の購買意欲すらそそらなくなってしまう。哀れな存在ではなかろうか。

いろいろ考えていけば、箱の大きさに商いは伴っていないということになる。大きな箱を山積みさえすれば、商いが盛大になるというのであれば箱に神通力が備わっていて、大いに歓迎されるであろうけれど、現実は厳しいようだ。

プラモケイの商いが、十年前の売り上げとちょぼちょぼという状況のなかには、大きな箱の空偉張りがあるのではないかと考えるのは、わたしだけの僻みであろうか。

美しく大きな箱は、プラモケイ店の売場面積を縮めるだけではなく、商いを圧迫しているではなかろうか。

それには最近の書籍の値段をみればよく理解できるが、単行本にかぎらず、ちょっとした雑誌などでも千円~三千円程度のものはざらである。二千円の本でも、プラモケイの箱の高さにすれば二百円程度のものである。プラモケイと本とは比較にならないといっても、わたし共の商いが効率など問題にされないところであろう。

プラモケイ店の店舗構成のなかには、ウインドの占有率も大きいけれど、完成品ばかりを収容しきれないとなれば、どうしても箱を並べなくてはならなくなるのもプラモケイ店の特徴である。嵩だかい箱、大きな箱はたとえパッケージが美しく装われていてもありがたくない代物であろう。

 

パッケージデザインはプラモケイ専門店の店舗構成を頭に入れてから決定すべきではなかろうか

美しく大きな箱をめざしてひた走りのようなめーかーさんは、果して何を意図し、なにをお考えになられているのであろうか。

箱さえ美しければ、箱さえ大きければ、商いはなりたつと考え違いをなさっているのではなかろうか。なぜならプラモケイを作るものに必要なものは外箱だけでなくて、中味であるところのキットである筈なのだ。

優れた企画によって市場に送り出されるキットであれば、プラモケイの価値は持続されたであろうし、外箱などが評価の対象とはならないのではなかろうか。

プラモケイが次々に量産される代物だけに、商品化される工程のなかでオートメ化の匂いを消す努力、つまり手作りするかのような条件を付加する必要があるのではなかろうか。

ものを作る人たちに提供する商品は、素朴でもよいから内容のあるものにしたい。そのためにメーカーはプラモケイ店の呼吸音を聞いたり、真の棲息状態を探知したりすべきではなかろうか。

プラモケイ店の現実は全く夢もチボーもないということは、プラモケイ専門店としてまじりっけない商いを十年やって思いしらされた。末端の商いの現状を把握しなければ、いたずらに美しく大きな箱づくりへと駆りたてられるのではなかろうか。

美しく大きな箱も結構である。

しかし美しく大きな箱にするかぎり、洋服の箱のように丈夫に作り、そのなかには多くの完成品を格納できるぐらいなアイデアを盛る勇気と、決断をお願いしたい。

ごみ箱に直行するだけではなく、ごみとなっても空偉張りをやめない、無用の長物的な箱は、この際考えて頂きたいものである。

プラモケイ店は平均して十坪たらずの店舗が多い。その十坪の店舗にプラモケイだけではなく、ありとあらゆる種類の商品が詰っているのであるから、ほとんどのお店では生活空間までを、大きな箱で占拠されているといっても過言ではない。

台所といわず、居間といわず箱の空偉張りのなかで、わたし共は圧迫され、脅かされつづけているのだ。

そのうちプラモケイ店主は、大きな箱による被害妄想にかかって、精神病院の門をくぐるようになるのではないかと怯れる。

プラモケイ業界の繁栄は、プラモケイ店の繁昌なくしてあり得ないと考えれば、ここらで大きな箱のなかに詰めこめるだけ、ぎゅうぎゅう詰めでも結構、値打ちを注入して大いに儲けれるようにアイデアを出して頂きたいものである。

店舗面積が狭ければ狭いほど、卑小であればあるほど、大きな箱の担う役割は重要となるに違いない。

美しく大きな箱が毎日のように売れはじめると、時間をかけて立派な包装紙に包むだけではなく、お茶を出してお客とゆっくり対話するゆとりある商いができるのである。

そのような商いとなる内容を、美しく大きな箱のなかにパックして欲しいものである。

箱の空偉張りに比例して、店舗は拡大されなかった。ということを改めて再認識して頂きたいと思う。

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商品企画のあり方について・・・・・・今井科学(株)社長 今井英一

それは空即是色―人間の心とその流れへの理解と愛情の表現でなければならない。

 

私はよく人に言はれる。「年がら年中新製品を追いかけて、大変でしょうね」と。その通りである。一つの新企画をひっさげて、商品にし、世に問うと云うことは、本当に大変なことで、その企画についての意思決定には、苦しみ、悩み、人を恐れるまでになり、その末には人を忌み嫌うことすら起ってくる。その上、当てよう、当てなければならないと云うのである。ますます至難な業と云はなくてはならないことになる。そこで常に消費動向はどうだろうか。一体現代の消費者の意識をどのように把握したらよいか、いろんな角度からの調査努力が必要になる。また現代は多様化の時代だと云はれる。その中でどこに焦点を合はせたらよいか、自己体質についての深い反省も、これ亦必要欠くことの出来ないものになる。

「それでは太平洋のイワシは、群棲をやめたのか」と、消費欲望多様化の議論の中で、聞かれたことがある。なる程、決して太平洋のイワシが一匹づつ勝手な方向に泳ぎ出しているとは、その道の学者や漁師たちは云っていない。とすると依然として、イワシは群をなして泳いでいるのである。たゞ漁師たちは、潮の流れ、水温など、イワシをとりまく環境の条件について、常に調査研究して、網を打たねばならないのは、昔と全く変らない。

確かに消費者のニーズは、多様化はしているが、一人一人の考へ方や行動がより積極的に表面に浮び上ってきているに過ぎない。またそれに対応するように、商品や市場も細分化され、その方向で研究され供給されてはいる。

しかしそれは日本人特有の、消費者行動現象と、社会環境の変化との重なりのためで、いつの時代にでもある時代屋の姿であると思えてならない。消費者の潜在的欲望に多様化はない。その潜在的欲望を引き出していくことが、商品企画の正道でなくてはならないと思う。従って現代の社会環境、生活意識など、考へられる要素、側面を出来るだけ広くとり、確実に整理して、適応出来る仮設をしっかり立てゝいくことである。

そしてその仮説の基本になるものは、人間性の理解であり、人間への愛情でなくてはならない。思想のない商品企画は、現代の多様化の中にたちまち埋没して了うであろうし、思想の表現があってはじめて、消費者の心をとらえることが出来るのである。

私どもが、「ローマの軍船」を発売し、帆船シリーズの企画を発表して以来、沢山のお手紙を消費者の方々からいたゞいた。それは初めてこの種の商品により心をゆすぶられたかと思はれる、素朴な喜びの表現のものであり、感動の余韻を美しい筆跡に綴ったものでもある。毎日拝見させていたゞき、これに勇気づけられ、心から感謝している。私どもの企画が、販売面との心のつながりの支へになり、消費者と共に、現実に生きることの価値と意義の自覚―空即是色―と云う人間の真実への彼岸に、一歩でも歩み寄る人間の糧となるよう、努力を続けなければならないと思うのである。

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金粉あれこれ・・・・・・伊藤藤金粉(株)社長 伊藤誠三

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コンスティテューションに思う

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(博物館シリーズ)神戸商船大学海事資料館を訪ねて

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いい湯だな

いい湯だな

 

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(対談)ホビーについて・・・・・・重田英行=カイ・ヨウド

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プラモケイは自動販売機に委ねたらどうか

1流行する自動販売機増設風潮

最近街を歩くと、大口開いたようなぶざまな格好で、どっかり腰を据えている自動販売機にお目にかかるのも珍しくなった。

タバコや、酒類や、食料品などが圧倒的に多いけれど、お米の販売機のように巨大な口を開けたものまで現われる始末である。

如何に人手不足とはいえ、如何に流行とはいえ、自動販売機だけは、どのように考えてみても味気ないものである。

百円硬貨を入れると、ごとんと転り出てくるビールなどをみていると、これを呑んで大丈夫なのだろうかと、一瞬ためらいをもつのであるから妙である。

自動販売機がその特徴を発揮するのは、人間どもの営業を終えた深夜からであろう。風呂あがりでビールを一ぱいやりたいと思えば、冷蔵庫にビールが入ってなくても、自動販売機のあるところに走りさえすれば、ビールもおつまみも揃うのであるから、独身者でなくても重宝ではある。

自動販売機が逆に悪用されることも多い。それは未成年者たちでもビールや、タバコなどをのみたいという欲求が起れば、たちどころに用がたせるのだ。

自動販売機は非行青少年の育成機械だと批難するむきは多いとしても、そのような声にはおかまいなしでぞくぞく設置され、ハンランする気配である。

よかれあしかれ自動販売機はとどまることなく大流行する気配であるからには、そのうちボーリング場のような巨大な、自動販売機専門に扱う商法が出てくるのではなかろうか。

自動販売機は勿論無人であるがゆえに重宝がられ、街頭という街頭にのさばるのではなかろうか。

そこでプラモケイ店を店舗ごと自動販売機に委ねてみたらどうであろうかと考えるのである。

メーカーごと、価格ごと、種類ごと、大きさごとというように区別けした自動販売機を備えておけば、顧客はいつでも、お好みの時間に、うすよごれたおやじの顔をみずにプラモケイを買い求めれえるのではなかろうか。

 

2プラモケイ店は経験と技術を売るところではないのか

あるメーカーが自動販売機を採用しはじめると、プラモケイ店は忽ちのうちに店ごと自動販売機の様相を呈するのではなかろうか。そうなればプラモケイも完全に末期的症状を示し、救いのない状況といえるだろう。

作りたいとき気軽に求められるということは、現代感覚にマッチした条件ではあってもプラモケイの場合には、いま即座に欲しいという衝動を押さえてみる努力こそ、ものを作る人間に創造性を育てるという現象を与えているのではなかろうか。

缶ビールのように欲しいと思ったときに、すぐさま求められるようになれば、すでにものを作るなどという条件から逸脱してしまっているといえるだろう。

むかしのモケイ店は、たとえうすぎたなくても、多くの工作的経験と、技術をもった主のようなおやじの棲息していたヤカタであった筈である。が、その技術屋的、職人的気質を骨抜きにした元凶がプラモケイであるとすればプラモケイを販売するために技術を付加しない方向に向いたとしても文句のつけようはないといえる。

モケイ店では制作指導をすることで、人間的な暖い交流を深め、商品に対する信頼と、認識をたかめてきた筈である。それがいつ頃から設ける傾向に走り、箱売りのみに堕してしまったのであろうか。

プラモケイの箱売りのみに汲々としている間に、技術的なものを添えて売る能力を失ってしまったとしても、果して誰を責めればよいのであろうか。

ここで考えられることは、プラモケイはすでに、経験や技術を添えて販売する商品ではなくなったのであろうかということである。

プラモケイ店が過去のモケイ店のホコリを取戻すためには、プラモケイに技術を添えて売る時期にきていることを真剣に考えるべきではなかろうか。

 

3プラモケイ店は反応のない味気ない店なのか

プラモケイを作る人々は創造性のない、ひたすら自己満足的でおなじことを繰返すだけの、積木細工にうち興じる、ぬり絵をぬる子供とおなじなのだろうか。

プラモケイを売るときに交える商い用語もかぎられ、ただ部品不足とか、こわれているかいないかに応えておればよくなってきた。それ以外の言葉を交換することもわずらわしく思うようになったのではなかろうか。

箱を売る。そしてまたプラモケイの箱を売る。せめて技術的な条件を見出すとすれば、レジーを開けることか、箱を包むことぐらいではなかろうか。

箱を売る無感動な行動の連続、箱を売ることでお金が儲かったという実感だけの商いは果して手応えある、真実モケイ店としての喜びにつながるものなのであろうか。

○○○のキットは、かくかくしかじかで、なかなか作り応えのある商品である。

×××のキットは、前作よりは一段と進歩したあとがみえるばかりか、アイデア溢れたものとなっている。

現在のプラモケイのなかに以上のような説明を加えて販売できるキットが、果してどれほどあるのであろうか。

またそのような価値を血まなこになって探っている熱意溢れる店主がどれほど存在するのであろうか。

 

4商品構成を再検討するとき

店内の棚の上にところ狭しと並んでいるプラモケイを一つ一つ取出してみると、どれもこれもおなじようなものばかりで、いささか驚かされるであろう。

驚くことが怖いので、プラモケイの箱など開ける気にもならない。開けないからどのようなキットであるかも全くわからない始末である。

キットの内容が把握できていないから指導する気にも、すすめる気にもならない。

これじゃ悪循環というよりは、巨大な自動販売機の中に座って、ひたすらお金の出し入れをするだけであると云われても仕方あるまい。

なぜならばどのプラモケイ店でもおなじ箱が並び、おなじ売り方をしているように一般の人々には映るであろうから、自動販売機なみなのである。

自動販売機に委ねてもよいぐらいなキットが出廻るのは、メーカーの企画力の貧困か、より優れたものをつくる意欲に乏しいのであろうか。いやいや日本のメーカーにかぎってそのようなことはかんがえられないでしょう。

なぜならいまとぶ鳥をおとす勢いで上昇しているメーカーさんは常に、プラモケイ店がオマンマを喰ってゆけるようにと、夜も昼も頭を悩しつづけているからである。たえず優れたキットの輩出を考え、ひたすら努力を積み重ねておられるのであるからには、一プラモケイ店主などがとやかく文句をつける筋合いではなさそうである。

あっしには関わりないことでござんす。

とまでいかなくても段階的に進展する要素のあるキットを市場へ出すためには、優れた頭脳集団であるところのメーカーさんのアイデアに期待するものである。

 

5商品を活用するためにはどうすればよいか

点からの滋雨を待つごとく、いかに雨ごいを繰返したところで、メーカーさんの企画が芳しくないとなれば、どうすればよいのだろうか。

まず過去の古いキットを探し出し、そのほこりを拭い、フタを開いてみる努力をしなくてはならないだろう。

AメーカーのAのキットの販売は、こうすれば売れるのではなかろうか。

BメーカーのBのキットは、この部分がポイントになるので、そこを強調すれば新製品よりも売れるのではなかろうか。

CメーカーのCのキットは、全体的に優れているのでアピール次第では息のながい商品になるのではなかろうか。

などなど、かっての特徴あるキットを発掘して再検討を加える努力と、それらの商品を大いに活用する熱意を燃やさなければ行き詰まるのではなかろうか。

過去の商品に活力を与える努力は、プラモケイ店に指導性を取戻すことであり、自動販売機化へのたくらみへの抵抗でもある。

 

これからホビー店へと脱皮し、飛躍するためには、むかしむかしのお百姓さんたちが雨乞いするような無気力で、他力本願的なものではなく、われわれがすすんで創造性を培い指導力を復活させたいものである。

 

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プラモデル店はマニアの延長線上にあるのか・・・・・・重田英行

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価値を付加して販売できる商いこそホビーの特質ではなかろうか

千円の商品を千円ぽっきりで売るのであれば、ありきたりの才能のない商人に過ぎない。まして千円の商品を八百円や九百円などと値引きして販売するようでは、自らの商いを冒瀆していると批難されても仕方あるまい。

ホビーの商いは、とくに想像の領域に奉仕するものであれば、経験や、技術や、アイデアが商いの根幹となるべきではなかろうか。

経験と、技術と、アイデアを付加して販売できるように考案された商品を扱うことにほこりをもてるのが、ホビーの商いであるべきではなかろうか。

千円の商品が、千円以下に値引かれて売られている現実は、千円以上の価値を付加する要素が全くないということであり、淋しい限りである。

ホビーの商いには、理想と夢が優先されるはずであるが、昨今のプラモケイなどの販売状況を観察すれば、一個でも多く売ることにのみ執着し、売るためには値引きすることすら辞せないという風潮ばかり目立ち、創造性にうったえかけるというか、奉仕するというような気持のカケラもないことは腹立しい限りである。

ここに日旺大工に使用する棚板があり、それが千円と仮定しよう。さて棚を作ろうとしても棚板だけではどうにもならない。A店では釘や、鎖をセットにして千二百円で売り、B店では更に蝶つがいを加えて千三百円で売り、C店では更に塗料や、ハケを加えて二千円のセット売りにしたのである。

これは商いの経験の編み出した知恵といえるのであろう。

次にK店では、棚板の材料そのものに多くの種類を加えたうえに、長さや、巾にまで大小の変化をつけ、それにカンナで仕上げたうえに、前期のものをセットしたとすれば、おなじ棚板売りでも加工(技術)を加えると、充分な技術料を頂いてもおかしくはないであろう。

そこにはおのずから二千円~四千円という巾のある商品構成が編めるのである。

次にM店では、更にアイデアを付加して棚板を独自の方法で売り出したとなれば、考えようで棚板一枚売るにも変化と、巾と、密度を付加することができるのだ。

現代は経験と技術と、アイデアがあれば、鬼に金棒の時代である。が、プラモケイにはそのような要素がかくされているのであろうか。

どのようなプラモケイノ箱の中にも、判で押したように型どおりの、つまり型のなかから押出されたままの、手の加えようもないキットが納まっていて、モケイ店主の経験や、技術や、アイデアなど糞くらえといわんばかりのふてぶてしさである。

価値を付加することのできない、販売店主の参加を拒むキットそのものの存在は、果してメーカーの勝利なのであろうか。

ホビー商品であるところのプラモケイに、変化の乏しい付加価値のないものを続出させている現情はメーカーの企画の貧困というよりは、おごりそのものではなかろうか。

金型からおなじキットがおびただしく押出されるという状況は、大量販売に直結しているスーパー的商品といってもおかしくはないのでなかろうか。しかし現実には、スーパーすら問題にしないのはなぜであろうか。

販売店主のアイデアも、技術も、経験も拒む商品の氾濫こそ、プラモケイ店経営者をより無能あらしめるための策略であり、自動販売などえの大前提?であるかもしれないのである。

前記したように千円のキットをA店では経験を加味して二千円に、B店ではアイデアを加味して三千円に、C店では技術とアイデアを加味して四千円で売るような企画はできないのであろうか。

そのようなプラモケイが出現すれば、それこそ価値ある、優れた企画によるものとして一般評価もあがり、メーカーの存在がほこらしいものとなるだろう。

大量販売につながる、大量製産機構がいつの間にか商いを変え、業界を変質させつつあることに気付くべきではなかろうか。

十個のなかに一個でも、二個でもよい、販売店主が技術なり、経験なり、アイデアなりを加味して販売できるキットを出さなければ、プラモケイそのものが衰退するのではなかろうか。

キットは素材であることを再認識したいものである。

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独自のアイデアと行動力で新製品を編みだそう

新製品とは、新しく市場に送り出される商品であるが、プラモケイの場合の新製品なる定義があるとすれば、画期的で発展的なものをいうのではなかろうか。

まるでトコロ天を押し出すように毎日なん点かの新製品が現われ、店頭を賑かすけれど、それらはみな新製品なる資格をもつのであろうか。

飛行機でも、戦車でも、自動車でも、はたまた帆船でも、おなじ種類のキットを販売するときは、新製品といわずにシリーズものとして分類し、先発商品とおなじ条件で処遇すればよいのである。

シリーズものなどの場合は、新製品と呼んでも可愛さがあるけれど、パッケージを変えただけで、むかしの古いキットを新製品といって出す無神経さには開いた口が塞らない。

新製品としての価値をもつものは、キットのなかに新しい条件を二つや三つ備えるように義務づけると仮定すれば、きっとアイデア溢れた、モケイ店の創造性を大いに刺激する有力商品が輩出されるのではなかろうか。

おなじシリーズものであっても、形が変るだけのもの、つまり零戦であっても、メッサーであっても、プラスチックの素材の利用条件は全くおなじであれば、新製品とはいわずにシリーズものと呼ぶように習慣づけたいものである。

新製品というからには、キットのなかのどこかにアイデアを注入し、前作より優れた内容をもたせるように企画すれば、十年前の素材構成と全くおなじであるなどという奇妙キテレツな現象は起らないのではなかろうか。

現在のプラモケイの企画は、メーカーサイドで行われ、現場である販売店の声など決して届かない雲の上なのである。

販売店の不勉強、不熱心や、行動力のなさもあるのであろうが、箱売りに墜してしまった現情では、ああしてくれ、こうして欲しいなどの声の起る筈はないのである。

プラモケイそのものが箱売りであるかぎり、おじいちゃん、おばあちゃんでも商うことができるという現実は、新製品について検討を加える能力がなくても、プラモケイの商いはできるということを裏付けしているのだ。

四・五年まえのプラモケイ店主は、新しく出たキットの箱は必ずひざの上に載せ、次には上箱をとり、どのような出来栄えであるか、売れるキットか、売れないキットかなどと品定めをしていた。

そして売れるキットであると判断したものは、即座に見本制作するぐらいな熱意があったように記憶しているが、現在では箱絵すら見ようともしなくなったのは、なんと表現すればよいのだろうか。プラモケイの商いが墜落してしまったのだろうか。

すべての人達が商いに情熱を失い、惰力で商いをつづけている現情では、すでに新製品にすら愛想づかしがはじまっているのではなかろうか。

新製品なるものが次々に人々の期待を裏切ってきたので、すでに振り向きもしなくなったのか、プラモケイ店が商いに対する意欲を喪ったのでメーカーの企画の貧困を招いたのか。これはニワトリとタマゴであろう。

しかし新製品の魅力の喪失は、そのどちらかにあるのだ。

十年間プラモケイを商ってきた店主の方々のなかで、おれはこのようなキットを企画しずっと暖めつづけている。と胸を張って云いきれる方が、果して全国でどのくらい存在するのであろうか。

このキットは駄目だ、あのキットも売れる代物じゃない、こりゃ企画が悪いなどとおっしゃられる方はあっても、ご自分でこのようなキットを出せば必ずヒットするという、自信に溢れた企画をお持ちの方は少ないのではなかろうか。

メーカーの企画を嘆くまえに、わたしだったらこのような方法でキットを出してみたい。というぐらいなアイデアがあってもよいのではなかろうか。

直接顧客と対応しているだけではなく、見本づくりや、顧客の反応や、作品評価を加えることで培われている筈の能力を、いざというときに発揮できてこそプラモケイを商っているほこりといえるのではなかろうか。

現場からの激しい突き上げや、執ような追及があれば、必ずメーカーに反映して優れたキットが新製品となる筈である。

いつまでも売れつづけるキットであれば、メーカーにしても新製品の乱発をしなくても、売れゆきが永続している間に次なる企画をゆとりもってできるのではなかろうか。

一千万円の宝くじが当ったら、わたしだったら、あっと驚くキットを出してやるぞ。というぐらいな気概は、プラモケイ店のオヤジどのであれば抱いているべきであるし、その程度の探求心は商いの経験のなかで究めておきたいものである。

かりに全国に散在しているプラモケイ店主が一年に一作でもよい新製品を企画したとなれば、どうなるだろうと考えるだけで体中の血が騒ぐ。

すべての店主でなくてもよい、百店主で一作ずつキットを企画すれば、画期的な状況がおこるにちがいない。

プラモケイ店主が企画する限り、それは確実に売れるキットでなくてはならないし、確実に商いに結びつく商品であることは勿論である。

そのようなアイデアが野であるところの現場から出せば、業界全体に研究心が王政となり、商品知識も豊かになり、ひいては未来に対する洞察力も生れ販売戦略なども巧みに編めるようになり、新製品の価値もひとりでに上るだろう。

たとえ一年に一作でもよい、一年間を商った証として、優れたキットを企画する能力がプラモケイ店に備われば鬼に金棒である。そうなればメーカーも現場の声を無視しなくなるであろうし、新製品に対する認識をも変えるのではなかろうか。

いつかよく売れるキットが、ブームが出現するであろうと、棚からぼた餅式で、あんぐり大口開いて待っていても、開いた口はなかなか塞がらないのではなかろうか。

この際他力本願的に、だれかがやってくれるだろうなどと思わずに、よいキットとはどのようなものであろうかという好奇心ぐらいはもち、せめて企画に参加出来たらこのようにしたい。という意識ぐらいは持続したい。

プラモケイの商いをより盛大にするためには、現場のものがアイデアを展開するだけの真剣さと情熱で、新製品にたち向いたいものである。

新製品を手にしたとき、おれさまだったらこのようなキットを造り、このような方法で売ってやるんだがな。という意気込みさえあれば、売れるキットか、売れないキットかぐらいの見分はつくだろう。

メーカーから、問屋から運び込まれた新製品を売る、これでは果しなく新製品成る怪物と格闘しつづけるに違いない。与えられたものを販売するだけであれば、ロボットと変るところはないだろう。

新製品、新製品とばかりに鳴り物入りの宣伝にもかかわらず、十年一日のごときキットの洪水はここらでご免蒙りたいと考えるのは私だけであろうか。

アイデアの詰った真の新製品の出現を大いに期待させて頂こう。

 

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ロープ張りは空間芸術である

ロープ張り

 

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ロバの話

商いはロバにのって

 

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カイ・ヨウド氏とタイヘイ君の優雅なる生活

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編集者の頁

●商いの手帖もなんとか創刊するところまで漕ぎつけました。広告してからずいぶん遅れましたことをお詫びいたします。商いしながらです、何卆ご海容下さい。

●今井化学社長さん、伊藤藤社長さん、重田英行さんから玉稿を頂きました。この方たちからは商いの方でもご指導頂いています。ご協力ありがとうございました。

●この「商いの手帖」は、卆直にいって「暮しの手帖」に少しでもあやかろうと思い名付けました。まぎらわしいことをお許し下さい。そのかわり商い人の勉強の場として、真剣に育てて参りたいと存じます。

●私たちは編集者というよりは商い人です。商いを探る努力や、商いのアイデアを出すことにより、商いの手帖をより充実させて参りたいと思います。ご支援ください。

●神戸商船大学海事資料館を見学させて頂きました。そのとき皆さんから沢山ご配慮を頂嬉しく思いました。私たちも海洋博物館づくりを商いの目標に掲げていますだけに、一日もはやく理想を実現するための商いに励みたいと、帰途の車中で話合いました。大そう参考になりました。心よりお礼い申し上げます。

●商いをどのようにたかめていくか、商いのなかにどのように心を注入すればよいか。は商いの手帖の果してゆく使命だと思います。心ある商い人のご協力、ご指導をお待ちいたします。

●商いにテーマをもつことは大切なことです。これからもホビーを主体に展開して参りますが、必ずや、どのような商いにも結びつくのだという実証して参りたいと思いますので、取材などのご協力は沢山頂きたいと欲張っています。

●商いの手帖を刊行するために、多くの方々のご協力を頂きました。その方たちが商い人であることも心強いかぎりです。ありがとうございました。

 

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PRの頁

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