館長室

海洋堂シマントミュージアムビレッジ

海洋堂ホビー館

 


 

 

なぜホビー館を設けたか

現代社会ではどちらを向いても眼につくのは、大人のあそび場ばかり氾濫してとどまるところをしらないありさまです。

四国の耕地面積以上の広さがあるといわれているゴルフ場を筆頭に、パチンコ店やマージャン屋、それにスナック・バー・キャバレーと数えあげると際限なく、いまや日本列島は大人のあそび場で埋まってしまいそうな勢いといえます。

最もあそびを必要とする子供らに、果してどのようなあそび場が存在するのでしょうか。永い間「創るたのしみをすべての人に」をスローガンかかげて商いして参りました海洋堂は「心・頭・手を育てよう」を合い言葉にささやかながらも新しいホビー館づくりに励んでいます。

みなさんは学習塾の乱立をどのようにお考えですか。

子供らの自殺が増える傾向にあるのはなぜなのでしょうか。

マチから子供らの笑い声や、喚声が聞かれなくなっても当りまえの状況となった昨今です。子供らの創造性や、行動力は、集団的なあそびのなかから育くまれると確信している私共は、現代の心を失った詰め込み方式からは、頭でっかちで無気力な子供が増えても人間らしい創造力や、活力溢れる子供は育たないのではないかと危惧しています。

パチンコに興じ、ケイバ・ケイリンに熱狂し、マージャンに寝食を忘れ、ゴルフの玉うちに熱中する大人たちも、この機会に子供のあそびについて少しばかり脳ミソをしぼって頂きたいと思うのです。

群れてあそぶことを忘れた現代っ子

鉛筆どころか箸すらも満足にもてなくなった現代っ子

よろこびを失いかけている子供たちに、せめてものつくるおもしろさや、熱中することのたのしさなどが自然に身につくようなら、ホビー館を設けた意義が生れるように思います。大供たちのご理解とご協力をお願い申し上げます。

海洋堂 宮脇童平

 

戻る


ホビー館の目的

◇ホビーとはあそびである

ホビー時代といわれるようになって久しいけれど「ホビーとはなんぞいな?」と正面きって問いかけられ、かくかく、しかじかじゃと応え得るホコリあるホビー商人は少ないのではないでしょうか。

「ホビーはあそびである。」と解釈する私共は、ホビーを売る仕事を単なる物品販売のみにとどめてはいけないと考えつづけて参りました。商いをあせて頂く地域社会に密着したところで、造形教育のほんの少しでも担える創造の場、あそびの場にしなければと語合って参りました。とくにこれから始まるといわれています余暇時代になれば、子供らのあそびの時間と、あそび場はますます拡大されるでしょう。そこでホビー館は、あそびの場をつくる尖兵の役割りを果せたらと思っています。

 

◇ホビーは心と頭と手という人間のすべての機能をつかう

ホビー館では、ホビーを媒体として心と頭とて、つまり人間の本質ともいえる熱中する、表現する、感動するという素朴な行為のなかから創造力や、技術力、社会的機能なども育ったらと期待しています。

現代の社会教育のなかでも学校や、家庭などで見すごされているというより、見捨てられてきたあそびという原初的感覚のなかから、子供らの真のよろこびや、夢などが引き出せるようになればホビー館を商った商い冥利につきるのではないでしょうか。

 

◇プラモデル屋からの脱皮

これまでのホビー店、とくに私共のようなプラモケイ専門店は、なんやプラモデル屋やないか。と世間さまから蔑視を受けたり、過小評価されて参りました。それは一般のホビーの認識の低さや、十坪程度の小店舗での箱売りや、材料売りに汲々としていたところに原因があるように思われます。

子供から大人までという広くて深い尺のあそびという社会的機能の大事な部分を担う商いでありながら、こせこせと物品販売のみに終始している間にホビー人としての資格すら失ってしまったようです。

人間にはどなたにも、なにかを創り出そうとされる自然的感動的欲求があります。ものごとを智性とか理性や、現実的なものさしで処理しようとすれば、学習塾のような脳味噌の缶詰製造所ばかりがやたらと増え、無気力で感動性のない頭デッカチな子供ばかりうじゃうじゃしかねないありさまです。

人間にはもともと感動する心があってそれが創造力の発たんになるといわれています。そこで私共はこれまでの、プラモデル屋的商いから脱皮して、動きつまりあそびをとり入れたホビー館づくりに励んでいるのです。

ホビー館こそは、心(感動性)頭(創造力)手(技術)を育てるにふさわしい、ホビー館とあそびを合体させた新しい殿堂にしたいと思っています。

 

◇ホビー館はあそびの塾である

乱塾は眼をおおうものがあります。あそびを忘れた子供に活力はありません。

今こそ大人は、子供のあそびの復権を考えるときではないでしょうか。

学習塾があるかぎり私共は、あそびの塾があっても良いと考えています。そこでこれまでプラモデルを商った経験を通じて、こどもらがなにを求めているかを探りながら、それに夢や理想をプラスして新しい社会教育というより、創造の場にできないものかろ、ドン・キ・ホーテばりに考えています。

つくる、みる、あそぶというホビーの三大要素を、商いのなかで果せたらホビー館づくりの目的と合致するのではないでしょうか。

ホビー館は、あそびのヤカタであり、子供らの活力の源泉でありたいものです。

十三年まえの海洋堂では、淀川堤でモケイ教室を開きました。

子供たちを引き連れて、水族館や、博物館、美術館見学をいたしました。

ホビー館では、むかしのエネルギーをとり戻そうと張切っています。

 

◇十三年前のPR誌「海洋」2・3号残部ありますのでよろしければどうぞ。

 

戻る


ホビー館の機能

◇なにをしてよいのかわからない人間が増える

余暇時代になると家庭生活への依存度はよりたかくなるといわれています。しかし余暇の増大と申しましても、一日中寝そべってテレビや、マンガばかりみておれないので、そこでなにかやらかしてみようと考えるのが人間だといわれています。が、現在のように鉛筆すら削れないというより、お箸すら満足に握れないような家庭環境に育った子供らになにがやれるのでしょうか。すでになにをすればよいのかわからない人種が激増しているといわれています。あそびの撰択すら自力でできなくなっているのです。

これからあそびの時間が余って仕方ないという状況のなかでは、それぞれの個性や、能力に応じた機能を備えたあそびの場が求められるようになるでしょう。そこでホビー館こそは、モケイを通じて作ることとあそびを合体させて、喜びや感動なりを味わえる場にしたいと考えています。

 

◇ホビー館はホビーの商いを全うするところ

ホビーの商いがあそびを売る仕事であるかぎり、物品販売のみの店舗構成では時流にとり残されるでしょう。すべての商品が人間の技術の歴史とかかわり、結びついているだけではなく、あそびの素材であるという特性を考えますと、集団で製作できる、集団で観賞できる、集団であそべる機能を備えてこそ、ホビーの商いを全うしたことになるのではなかろうかと考えています。

そこでホビー館にはスロットレーシング・サーキットをメインにして、商品コーナー(年内にはホビー館の奥に70坪の二階を設け二階を商品コーナーにする)展示コーナー、工作台、モケイプールなどを設けています。

ホビー館の機能のなかでとくに重視していますのは、あそびの心をはぐくむということです。あそび場のない都市周辺では、これからの課題としてホビー館のあり方が問われるのではないでしょうか。

 

戻る


◇スロット・レーシング

ホビー館のキャッチフレーズである心・頭・手の機能を思う存分発揮できるのがスロットカー・レーシングと考える私共は、ホビー館の機能の中心において三年になります。とくに現代っ子に欠けている「心」つまり感動性や、闘争心、なかま意識を育てるには適しています。

レースで勝ちたいという意欲が、闘争心、競争心を剥出しにして子供らの表情を豊にし、喜びや、悲しみを素直に表現するようになり、傍でみていてもほほ笑ましくなります。すべての能力、おおげさに申せば子供らの全智全能を傾けなければおくれをとるという意識が、より優れたマシンづくりへと駈りたてていきます。

練習時にマシンがコースをはずれますと、付近にいる者がコースに入れてやります、すると「ありがとう」という大きな声が返ってきます。その声は自然にでたもので子供本来の屈託ない声です。しかしよくよく考えますと、現代社会の仕組のなか、とくに家庭や学校のなかでは忘れられてしまっている素直な子供の表現です。

ホビー館、とくにスロットを大人たちに覗いて欲しいと思うのは、マシンづくりに熱中している子供や、眼をらんらんと輝かして真剣そのものの姿で操縦している子供らには、人間本来の純粋な欲求をそのまま剥出されていて素晴らしいと思うからです。私共がスロットを重視致します理由のなかには、子供らの心がやさしく逞しくはぐくまれるという確心があるからです。

次に「頭」つまり創造力や、応用力や、アイデアや、個性などの機能が促進されます。なぜなら常に他の物よりすぐれたマシンづくりを果そうと努力するからです。

テストでよい点をとるための○×方式や、暗記方法では本当の創造力は育たないばかりか、応用力なども身につきません。また劇画や、テレビなどをみる視覚的日常性のなかからも創造力は生れないでしょう。が、スロットマニアの子供らは、少しでも優れたマシンを制作するために走行原理はどうなっているか、コースでの遠心力のかかり具合はどうか、スピードの限界と車体の関係はなどなど真剣に考えます。それこそ喰べることも忘れ、眠ることも忘れて考えるのです。

現代っ子に記憶する習慣能力はあっても、自らの頭で新しいものを創造する、展開する能力は欠けているといわれています。スロットカーのなかにむかしの集団的あそびであるチャンバラごっこに似た共通の条件をみい出す私共は、スロットにおける競争心や、闘争心が刺激となって創造力を培えると思うし、またそれらの要素が一ぱいあると確信しているのです。

「手」とは手指を使うという直接的意味のほかに技術や、行動力などが含まれます。鉛筆を削れないといわれたのはすでに過去のことで、現在では箸すら満足に握れない子供が激増しています。現代社会ではすべて便利になり手を使う必要がなくなっているからでしょう。手は頭へ連動されています、お箸の先端で煮豆を挟さもうとすればまずどのようにすればよいかを考えなくてはなりません。そのように手を使うことは頭をつかうことになるのです。

マシンづくりはすべての手指と工具類の使い分けからはじまります。マシンの組立はそうむつかしいものではありませんが、猛烈なスピードで走るだけに調整する技術が要求され、それぞれが可成りなテクニシャンになるようです。

スロットに馴染んだ子供たちはすぐ大きな工具箱を所有するようになります。工具箱はマシンの格納用であると同時に、工具類やパーツ入れでもあるのです。プラモケイであればせいぜいニッパーか、ヤスリ程度でこと足りますが、スロットではハンダ用コテからニッパー、ラジオペンチ、各種ドライバーから電動ドリルにいたるまで持ち、それらを巧みに使いこなす技術をいつの間にか身につけるのです。とくに驚かされますのは、モーターを分解してコイルなどを巻き替えることでしょう。モケイの場合は単なる動力的付属品にすぎないモーターを、マニアのほとんどの者が分解して性能アップへと挑戦するのです。これはまさにホビーの世界であり、子供の世界です。

技術あれこれを公開すれば何頁あっても表現しきれませんが、適当な部品でもあると知れば日本橋の電気店街へ自転車を走らせるという行動力も発揮するのです。

以上のようにスロットカー・レーシングこそは、心・頭・手を育てる条件が一ぱい内包されていると私共は、三年間の経験を通じて胸をはれるのです。

現代っ子の無気力を嘆くのであれば、ぜひ共ホビー館を覗いてほしいと思います。大声で叫び、体ごとぶっつけるようにやりとりする子供ら、小さな1/24のマシンに全エネルギーを注入する子供らの姿のなかに、あそびとはなにか、つまりホビーとはなにかが表現されているように思うのです。

 

戻る


◇商品コーナー

ホビー商品を全種そろえたいというのがホビー館の願望ですが、すべてのキットを蒐めるには可成りな資金と時間が必要となるでしょう。そこで戦車・飛行機・自動車・帆船というように枠組みを決めてテーマごとに蒐めようと考えています。

戦車ならミニタリーからラジコン戦車まで、国内キットから世界中のキットまでというように巾広い商品構成を目標にして密度をたかめようと努力しています。従来の十坪・二十坪程度の店舗では、増えつづける商品をそろえるだけで手一ぱいで、すべてのキットを網羅することは不可能といえるでしょう。

ホビー館では本年中に奥の八十坪ほどを二階にして、二階をすべて商品コーナーにしようと計画しています。七十坪か八十坪を商品コーナーにすれば見応えある展示場になるのではないでしょうか。戦車・自動車キットコーナーなどと分類されていると見安いだけではなく、モケイ博物館的展示も可能となるでしょう。

理想には一日もはやく到達しなければなりませんが現実は仲々厳しいものです。現在のように完成品の展示や、モケイプールや、戦車コーナーというように雑然としていましては、キットの撰択もままなりません。二階へ商品コーナーを分けるべく努力しますので暫くの間ご辛棒下さい。

 

戻る


◇展示コーナー

戦車展示ウインド2メートル×4メートルを二基と、大小四基のウインドを展示用観賞用に利用していますが、将来は15×17メートルの壁際をウインドで埋めたいと予定しています。

優れた作家の個展や、グループによる作品展なども常時開催して、作品價値をたかめホビー認識の場にしたいと思っているのです。ホビー館の機能のなかで最も高度な条件が必要なだけに時間をかけて作品を蒐めたり、ウインドを増やす努力をしなければならないでしょう。

ホビー博物館的展示が課題ですが、そのためには表現形態の探求や、素材のもつ可能性などを意識のなかに囲ったり、各地の博物館の見学などもおろそかにできません。展示コーナーはホビー博物館になる可能性があるのですから……。

 

戻る


◇工作台

売れた商品(キット)が家庭のどのようなところで作られているかと想像するとき、ホビーの商い人の一番心のうずくときです。現代の都市構造のなかでは、モケイを作る工作室など設ける家庭は…………。

どのように制作されているであろうかと、素材の行方なり効果を考えないようでは、ホビー経営者としては失格といえましょう。しかし現実に私共はまことに申訳ないことですが、売りっ放しの状態といわなくてはなりません。

十年ほどまえの創業の頃には公民館を借りたり、淀川堤の青天井の下などでもモケイ教室を開きました。当時は理想に燃えていたのでしょう。が、工作場としての機能をもたないところでは永続きしません。いまホビー館のなかにまがりなりにも工作台らしきものを配備し、多くの子供たちがいつでも工作できるようにしたのは、海洋堂の商いの夢でした。プラモケイを子供のオモチャ程度の認識しかお持ちでない大人たちにとり、接着剤や、塗料の臭気は耐えられないものといえるでしょう。

ホビーであるかぎり社会教育なり、造形教育の一端を担う商いであることは前述したとおりですが、工作台はせめて50名ぐらいの子供らが制作に取組めるよう常備しています。

 

戻る


◇モケイプール

春から夏そして秋までは水の季節です。

ホビー店でも春になると水ものといわれるボート類を揃えて売り出します。都会にも季節の訪れはあるようです。しかしよく考えますと、人間ばかりうじゃうじゃとうごめいている都会の中にボートを走らせる場所があるのでしょうか。河は危険が一ぱい、池は埋めたてられtなくなった、海ははるかに遠い存在となれば、都会の子供のあそび場はますます削られてゆくばかりです。

走らせる場所がないのにボートは売れない。という単純な発想からこれまで海洋堂ではなるべく水ものは売らないよう心掛けて参りました。たとえ小さくてもよいから専用のモケイプールが欲しい…………は夏になると呟くことばでした。モケイプールさえあれば、ボートなどの素材を胸を張って売れるばかりか、作る、走らせる(実験する)、考える、また作るという活きた社会教育の場となるように思えるからです。

15メートル×3.8メートルのモケイプールを設けました。もう灼けつくような太陽を仰いで嘆き悲しむこともありません。

モケイプールでは、カマボコ板のボートや、プラスチックの玉子容器を改造した上陸用舟艇や、昔ながらのローソクで走るブリキのポンポン船、そしてラジコン搭載の船までが賑やかに走れるのです。子供から大人まで、わいわいがやがや叫んだり騒いだりできれば、大都会のやり場のない炎暑のなかでホビー館だけはエネルギーに溢れ、おのずから創造力も培われるのではないでしょうか。

夏、子供らが身近なところでボートづくりに熱中したり、プールで昂奮したり、感動したりできれば、大阪ではじめて設けたモケイプールはそれなりの役割を果たせるように思います。

ひたすら走ることを目的に飼育されている競走馬のように、ガリ勉へと駈りたてられている現代っ子らは、すでにものを作ることだけではなく、手足すら動かすことを面倒がる状況すら広がっているといわれています。子供らが心から笑ったり、叫んだり、走り騒げる環境づくりは、大人の責任としてそれぞれの立場から真剣に考え、取組むべき問題ではないでしょうか。

モケイプールはホビー人としての責任と願望から生れたものと自負しています。

 

戻る


◇戦車コーナー

十五年前一坪半の小店舗をかまえ、プラモケイの商いの仲間入りした海洋堂は、それ以来世界的規模をもつホビー館づくりを商いの理想にかかげて参りました。が、プラモケイの商いは余りにも卑小で、いくら頑張っても少しばかりのアイデアを試すのがやっとという状態で、理想の旗を揚げっ放しという哀れさでした。

ホビー時代を迎えた現代こそ宿望であるところのホビー館づくりの時期到来であり、ホビー館の構想を具現するチャンスともいえますが、いまだ小商いを超えられない私共は、学習塾の乱立という都市環境のなかで悪戦苦闘の連続です。これでは理想のホビー館づくりなどは夢のまた夢のようなほど遠い存在と申せましょう。それでもなにもしないのでは理想の旗はしぼんでしまいます。そこで一昨年スロットレーシング用に借りた二百坪の倉庫を、少しずつホビー館の機能をもたせることでホビー時代に呼応しようと思いたちました。

現代っ子の造形教育ならびに創造教育は当然学校や、家庭において考えられるべきでしょうが、現実は余りにもお粗末といえるようです。(箸すら満足に握れない子供の激増はそれを裏付けています)なぜなら創造教育の基本はあそびにあることを抜きにしているからです。

つくる。みる。あそぶという子どもの基本条件を備えた場所が、公的にしろ、私的にしろ考えられてよいという思いは、十五年間の商いの体験を通して得た結論です。

松下幸之助氏ではありませんが、商いは儲けるためにあることを否定しませんが、子供らとの交歓を媒体としているかぎり、商品と共にアイデア、たのしみ、よろこびそして感動も売らなければならないと決意しています。

ホビー館はまだ海洋堂の理想にほど遠いものではありますが、この広さのなかにホビーの可能性をつめ込み、それを足掛りにしていつの日にか理想のホビー館づくりを果し、地域社会のなかでささやかに創造教育の場づくりができたらと話合っています。

多様化時代に入っても、ホビー館は単純なあそびです。素朴さのなかにこそ喜びや、感動が生れます。ホビー館はそのようなところにしたいと志向しています。

 

戻る


ホビー館と商いの理念

十五年前一坪半の小店舗をかまえ、プラモケイの商いの仲間入りした海洋堂は、それ以来世界的規模をもつホビー館づくりを商いの理想にかかげて参りました。が、プラモケイの商いは余りにも卑小で、いくら頑張っても少しばかりのアイデアを試すのがやっとという状態で、理想の旗を揚げっ放しという哀れさでした。

ホビー時代を迎えた現代こそ宿望であるところのホビー館づくりの時期到来であり、ホビー館の構想を具現するチャンスともいえますが、いまだ小商いを超えられない私共は、学習塾の乱立という都市環境のなかで悪戦苦闘の連続です。これでは理想のホビー館づくりなどは夢のまた夢のようなほど遠い存在と申せましょう。それでもなにもしないのでは理想の旗はしぼんでしまいます。そこで一昨年スロットレーシング用に借りた二百坪の倉庫を、少しずつホビー館の機能をもたせることでホビー時代に呼応しようと思いたちました。

現代っ子の造形教育ならびに創造教育は当然学校や、家庭において考えられるべきでしょうが、現実は余りにもお粗末といえるようです。(箸すら満足に握れない子供の激増はそれを裏付けています)なぜなら創造教育の基本はあそびにあることを抜きにしているからです。

つくる。みる。あそぶという子どもの基本条件を備えた場所が、公的にしろ、私的にしろ考えられてよいという思いは、十五年間の商いの体験を通して得た結論です。

松下幸之助氏ではありませんが、商いは儲けるためにあることを否定しませんが、子供らとの交歓を媒体としているかぎり、商品と共にアイデア、たのしみ、よろこびそして感動も売らなければならないと決意しています。

ホビー館はまだ海洋堂の理想にほど遠いものではありますが、この広さのなかにホビーの可能性をつめ込み、それを足掛りにしていつの日にか理想のホビー館づくりを果し、地域社会のなかでささやかに創造教育の場づくりができたらと話合っています。

多様化時代に入っても、ホビー館は単純なあそびです。素朴さのなかにこそ喜びや、感動が生れます。ホビー館はそのようなところにしたいと志向しています。

 

戻る


子供は変った、いや変りつつある

◇あそびは自由で任意の活動であり、喜びと楽しみの源泉である。

R・カイヨワ

 

十五年間プラモケイノ商いを通じて子供らと交ってきた私は、最近になって子供が変った。いや変りつつあるのだ。と気付くようになりました。

ひと昔まえの子供らにはまだガキヤ郎といえるような活力らしきものがあって、楽しく対応できたように思えます。つまりまだ子供らしさや、子供なりに個性があったように思うのです。しかしいまの子供はどうでしょうか、歩いても老人のように背をまるめ、顔は蒼ざめて生気に乏しく、そのうえ神経質で老人のように無気力無感動ものぐさときています。

以前なら十円玉や、百円玉をじゃらつかせながら飛込んできた子供が沢山いました。これぞというプラモケイを求めるために小遣い銭を貯めていたのです。プラモケイを一個買うにも目的のようなものがありました。が、現代っ子はどうでしょう両手をポケットに入れ、ただなんとなくホビー店を覗き、なんとなく買ってゆく無目的、無感動な子供が多すぎるのです。

老人のように神経質ですべてが不安定な子供が増えつづけているのはなぜでしょうか。現代っ子にはあそびの時間がないとよくいわれますが、本来自由な筈の子供たちは大人顔負けのスケジュールのなかで拘束されっ放しなのです。

なんとかしなければ。と良識ある大人たちがぼやきはじめてはいますが、システム化された流れを変えるほどではありません。

十五年間子供らと接触して参ったホビー店のオヤジといたしましては、子供が変った。子供が変りつつある。と気付いていながらダルマさんではおれません。

なんとかしなければ。という発想からまだ非力であるのにホビー館づくりに励んでいるのです。子供のあそびと、あそびに関心をもつ大人のご意見などお寄せ頂ければ、子供らをむかしながらというより子供本来のガキヤ郎に変えられる推進力になるのではと期待しています。

海洋堂 宮脇童平

 

戻る