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◎「ARTPLA」創刊号
2018年02月07日

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先日来館された荒木さんが「ARTPLA」を3号までしっかり読んで下さっていたというのには、驚くと共に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

「ARTPLA」の創刊号を刊行したものの、2号、3号を出すのに3年かかりました。つまり、一年に一冊出したことになります。

「ARTPLA」の創刊号を探し出して、久し振りに眺めますと、当時の必死の思いが蘇えって参ります。表紙に使用した「レオナルド・ダ・ビンチ」がわたしを厳しく見つめています。

35年まえ、わたしは「ダ・ビンチ」をホビーの神さまと考え、イタリアのダ・ビンチ博物館や、ダ・ビンチ村へも訪れました。

当時、アートプラという発想がよく出てきたものよ?という感慨があります。プラのアート化という単純なことではありますが、これまで、ひたすら追い求めて参ったものの萌芽が、この創刊号の中にあるのです。

とくに「プラモは新世紀を迎えようとしている」という、「山本君への手紙-3」は、11ページに亘ってわたしの思いが凝縮されているように思います。

「山本君への手紙」は、すでに7回に亘って綴られ、わたしの商いの哲学であると自負しています。

「山本君への手紙」をまとめれば、ゆうに一冊の本になると思っているので、余裕ができましたら・・・などと企んでいます。

「ARTPLA」の創刊号をめくっていますと、その頃は、がむしゃら?というよりは、好奇心のおもむくまま、行動力の旺盛な時代でした。

45歳といえば、90歳代になった今振り返れば、すべてが躍動していました。怖れるものは何一つありませんでした。今と比較するのが、おかしいのかも知れません。

「ARTPLA」のあとがきに「航跡」があります。

「創刊したばかりですので、どれほどの部数が出るものやら、皆目検討がつきません。むかし「暮らしの手帖」の花森安治さんたちは、雑誌を背中に担いで売り歩いたそうです。時代こそ異なりますが、私共もその故事にならって、一冊でも多く心あるモデラーの手に渡るように努力する覚悟です・・・」

とあります。その頃の必死の思いが、今あるのでしょうか?歳を取ったから?などと逃げ回ってはいないのか?と反省ばかりであります。


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