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◎山本周五郎を見つけた!
2018年07月09日

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今、わたしは山本周五郎の本を積み上げて、空いた時間には読んでいると、ブログにもお伝えしました。

「一言半句の戦場」という開高健さんの古い本を見ていましたら、その中に珍しく「山本周五郎さんの描く人間像」という文章がありました。そこで開高健さんの文章を次に転載いたします。

「ふつう新聞や週刊誌に発表される小説には、社会を底から頂上へと縦走する主人公を描いた強力譚が多い。裸一貫、両手でブラリで田舎に生まれ、都会へ攻めのぼり、さんざんな知恵と工夫を編みかさね、悪戦苦闘のあげく意思をとげる。

百万人の夢を肩に支えて東西南北に出没する紙の英雄たちが主人公である。百万人の読者は彼らを頭からバカにしてかかりつつも慰めや楽しさをおぼえる。ときにはナンセンスであればあるほど評判がよいということもある。バカほどかわいいものはないというのも人間の性欲や権力とおなじくらいつよい心情である。しかし、山本周五郎さんの小説には、成功者や強力者が登場しない。彼の小説の魅力は、いつも私がうまいなァと思わせられるところでは、その文章のキメのこまやかさ、襞の深さ、作者が文章を書きつつ息を深く吸い込んだり浅く吐いたりするのとおなじ深さ、浅さで私に息を吸いこんだり吐かせたりする。その芸の卓抜さである。人間心理の読みの深さである。あらわに声高く訴えたいことを潔癖から挫いたり、曲げたり、そっぽを向いたりしつつも訴えようとしている。その克服力と爆発力の強力さである。女を描くのがじつにうまいし、博識をおさえつけて言葉で人生を考えようとしない力がつよい。曲折に富んだ文章を書きつつ率直さで読者の心を武装解除する芸はじつに微妙である。これくらい貧乏人や失敗者ばかり書きながら“粋”の本質を読者にさとらせる人はいない。

そしてこの人は、いつも私に、文章の一行一行に、ああ、木戸銭を払っていると、思い込ませる。そういう安心感をあたえてくれる文章がこの時代には、皆無なのである。また、このように、いつも“新手一生”の工夫に心を砕いているひとも皆無である。舞台の芸については一人のしろうとにすぎないけれど、荒野の果てに追いつめられた人びとのあげる鮮烈、隠微、切実、曲折した声をつたえることに心を砕いてきた山本さんの文章がどんな風に変化し微妙な結晶を輝かせてくれるか。」

開高健さんの批評的な文章におめにかかったことはないけれど、山本周五郎さんを評して見事であります。わたしも山本周五郎さんを少しずつ読んではいますが、その名もないような人々に向ける優しさは、すばらしい資質だと感服します。

わたしも、息のつづく限り、山本文学の深さまで潜ってみます。


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