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海洋堂シマントミュージアムビレッジ

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◎タラバカニの剥製
2018年07月26日

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作品No.009
「老河童の一服」佐野康崇
~老河童が談笑しながら
一服しているシーンを・・・~

館長室、つまり応接間にはいろいろな珍しいモノが雑然と置いてあります。

一木彫りの大きなダルマ、陶器のシーラカンス、ガラスケースに収まった関羽の人形などそれぞれに価値あるモノばかりです。中国などの人々からプレゼントされたモノなど珍しいものが多く退屈はしません。

その中に見栄えのしないタラバカニの剥製が、お粗末な木箱に収まっています。それはわたしが50数年まえ、北海道の缶詰工場で働いていた時、毎日ホルマリン注射をして剥製にしたモノです。

その前年、チリ津波というのが、東北や北海道を襲いました。わたしは、今でいうボランティアとして、北海道のキリタップという村へただ独り自ら集めた救援物資を背負えるだけ背負い、青函連絡船に乗り、はるばるキリタップまで行きました。

この話をいたしますと、とても長くなりますのでまたの機会にゆずりますが、その翌年わたしはもう一度ノサップへ参りました。それはどういうことかと申しますと、当時歯舞などのコンブ漁師は、ノサップ灯台の目先にある貝殻島へコンブ獲りに出掛けていました。

するとロシアの監視船が現れ、逃げおくれた漁船は拿捕されるという悲劇がおこります。貝殻島は良質のコンブの採れる小さな島ですが、ロシアの島というか領土ということで、ロシアの監視船が常に監視していてコンブ漁船を捉えるのです。

その横暴さが許せないわたしは、その実情をコンブ船に乗って取材しようと、歯舞の漁師宅に泊めて頂き、コンブ船に便乗して貝殻島へ再三出向きました。まだ30歳代のわたしは血の気が多く、正義感らしいものがあったのでしょう。

ロシアの監視船が姿を現すと、ノサップ灯台からサイレンが鳴ります。それ!!ロシアの監視船が来たぞ!!と日本の島というイメージがあるのです。

貝殻島の悲劇を知ったわたしは、一年かけて準備して、缶詰工場で三ヶ月働かせて貰い歯舞の漁師の処で一宿一飯のお世話になり取材をいたしました。これは青春時代の貴重な想い出でありますので、いつか綴りたいと思っています。

というようなことで缶詰工場で働き、歯舞で取材いたしました。大阪を出発する時、息子(今の社長)に、オットセイを剥製にして土産に担いでかえるからなァ~と約束したのがオットセイならぬタラバカニとなったという訳です。

ホルマリンの臭気はひどい匂いですから、根室から大阪に戻る汽車の中では、いつもデッキに置くなどして苦心いたしました。タラバカニの剥製は、わたしの青春の象徴ともいえる貴重なものであります。

タラバカニは、今でこそ誰でも食べられますが、その頃は見ることもできない貴重なモノでした。


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