館長室

海洋堂シマントミュージアムビレッジ

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館長

◎北斎展を観賞する
2019年02月15日

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待望の「北斎展」が、六本木ヒルズで開催されているというので、ワンフェスへ行く気持ちも軽くなります。

ワンフェスの翌日は、三連休の最後ということもあって、大変な混雑で入場券を求めるのも時間が掛ります。入場するまでに2時間待ちで、年寄りのわたしの足は痺れっぱなしです。

さすが東京と申しますか、「新・北斎展」は大人気で、2時間待ちぐらいは当りまえという表情をしています。場内では479点の作品が展示演出されているので、見応えはあるのです。

90歳で亡くなられた北斎、おなじ辰年生まれで90歳のわたしも、信州の小布施にある北斎館だけは観ておこうと思いながらも行かずに終ってしまいました。

それで今回の「北斎展」では、「弘法大師修法図」の迫力ある絵を観ようと楽しみにしていました。前回「北斎展」を観たのは2005年の国立博物館でした。

北斎の絵のすばらしいのは、森羅万象と申しますか、目に入るすべてを描くというだけではなく、その独創性、つまりすぐれたアイデアを注入して、誰も真似のできない境地といえるでしょう。

奇想の画家は多くありますが、すべてのモノを好奇心の赴くまま描くという超人、奇人としてその類をみないのではなかろうか?北斎より一年ながく生きているわたしなどは、何もしないまま“あの世”ゆきになってしまいそうです。

91歳、これから新しい夢に向って、ドン・キホーテ的に突進できるのか?歳相応の分別もあって、諦めもはやくなります。「弘法大師修法図」の空海も、そして北斎もアイデアの人であります。

これまでわたしは、アイデアを出し尽くしたのでしょうか?いや百分の一も使ってはいないと思います。なぜならアイデアは、尽きぬ井戸のようなもので、汲めば汲むほどコンコンと湧いてくるのです。

おまえさんは、尽きない井戸水を汲み上げる努力をしているのか?何もかも年寄りのせいにして逃げてはいないか?

経験値があればあるほど、アイデアは噴出する筈です。北斎展を観て、わたしは何をしてきたのか?をじっくり、急いで?考えろ!と猛反省したい。

2019/02/15 | 日々日

館長

◎「周五郎伝」虚空遍歴の中に
2019年02月14日

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「苦しみ働け、常に苦しみつつ常に希望を抱け、永久の定住を望むな、この世は巡礼である」山本周五郎の座右の銘であります。

最近は山本周五郎の小説などを読み返し、最近になって「周五郎伝」(虚空巡礼)齋藤愼爾作の559ページの評伝を求め、それを時々読みます。その中に、不思議な二行を見出して驚いています。

「余談ながら美智子妃は二千ページに及ぶ「フォーサイト家年代記」を、学生の頃に原文で繰り返し読み、「フォーサイト家年代記における相告と調和」という大学卒業論文のテーマにしている」

という評記があり、驚いてその二行を何度も読み返しました。若き日の美智子妃には、秘められた情熱と申しますか、すばらしい才能がおありだったのか?と、素直に受け取らせて頂きました。

いつもは慎み深く、皇太子妃として歩んでこられた年月を推し量れないだけに、すてきな論文であったのでしょう。

かつて「青べか物語」や、「婦道記」などを読ませて頂いただけに、その「フォーサイト家年代記」を周五郎も愛読していたことは知りませんでした。

二千ページの英文を自ら翻訳して、卒論にされた美智子妃の論文には驚きましたけれど、それだけの知性を秘めておられた努力には脱帽です。いつまでも、天皇と共に過されることを念じております。

2019/02/14 | 日々日

館長

◎ワンフェス(冬)へゆく
2019年02月13日

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ワンフェスとは、ワンダーフェスティバルを略していて、毎年冬と夏の2回、千葉の幕張メッセの8ホールを借り切って展開する創りの祭典であります。

今年は2月10日に開催されるので、わたしたち夫婦は前日の土曜日から、新幹線で上京します。今年の気象状況は不気味で、当日は晴れのマークですが土・日は雪マークでした。

今年も三紀ちゃんが、わたしたちに付き添ってくれますので心づよくはあります。毎年のことではありますが、東京の人の多さには圧倒されるのですが、大寺君が東京駅まで迎えに来てくれますので本当に助かります。

毎回前日のワンフェス会場に入り、準備中の各ブースを歩きますが、見知った連中たちの挨拶などを受けますと、おおまだ館長を覚えてくれているのだ!と嬉しくなります。

それにしても、海洋堂のむかしから、50数年よくぞ生きてこれたものよ?という感慨もあります。おい大丈夫かい?などと声を掛けたくなるような雰囲気もあり、生きている自分を実感する瞬間でもあるのです。

明日の賑いを予想しながら、一足先にホテルへ入ります。この歳になって倖せなことであります。

2019/02/13 | 日々日

館長

◎四万十川カッパ造形大賞
2019年02月12日

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毎度、ブログの右上に貼ってある小さな河童作品は、「四万十川カッパ造形大賞」の応募作品であります。

只今掲載している写真は、第一回の最優秀作品です、『「イ~!カプッ・グエ」酔いどれ河童の受難』という長い題名がついています。作者は次のように制作理由を述べています。

「制作まえにイメージしたのが「河童→裸の王様→酒好き→意地悪→ガマ蛙→キュウリ」それらを組み合わせてスケッチをお越し、クレイモデルで形にしていきました。スッポンに噛まれ普段は見られない血管と筋肉が紅潮する表現に苦心しました。制作日数は、資料集めも含めて3ヶ月です。」

造形大賞は初めての試みだけに、大変悩まれたように思います。審査員の諸先生も、審査するのには大変だったようで、審査委員長の牧野圭一先生は、次のようなコメントを寄せられました。

「圧倒的な存在感。腰のデフォルメや河童の表情、ガマとスッポンのこだわりの表情など、様々な理由を挙げることはできるが、それら全体のバランスから醸し出す雰囲気であり、迫力である結果、作者の頭にある物語が、一体のカッパ像からしっかり伝わってくる」

第一回四万十川カッパ造形大賞には、400体ちかい作品が届きました。初めの審査は滋賀県の長浜の龍遊館で行い、つづいて千葉の幕張メッセの会場に運び込み、5万人の入場者に観て頂きました。

今年になって初めて、ブログに貼って、より多くの人々にカッパ作品を見てもらうことを思い立ちました。これからは今回のように、入選作も順次紹介していこうと考えています。一回目から四回目まで、1700体のカッパ作品を提示できたらと意欲的です。

作品の中には掌サイズから、3メートルの大作まで大きさはまばらですが、小さな写真の中からご想像頂ければ幸いです。

かっぱの砦でも、すべてのカッパ作品を展示演出することはできませんが、時々展示を変えていますので、ぜひ四万十にお越し頂けるようお待ちしています。

カッパ作品は全国の人々が制作された貴重な作品だけに、3号館、4号館と増やして、ゆったり展示演出しようとスタッフ共々話し合っています。

河童は、日本的で日本人に馴染みのある妖怪で、しかも妖怪と思えない親しみがあります。これからも、四万十のかっぱの砦をよろしくお願いします。

2019/02/12 | 日々日

館長

◎アホとアホ~
2019年02月08日

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東京では「アホ」と余韻を残しません。「アホ~」と余韻を残すのは、大阪だけなのでしょうか?

東京では、よく「バカ!」と怒鳴ったりしますが、大阪では決して「バカ!」などとは言ったりしません。

「アホ」でも、「アホ~」と余韻を残せば、それは優しく響いたり、相手も笑って受け入れられるのです。

先日「頭に来てもアホと戦うな!」という本を求めました。

アホ~と言い合っている仲間が、わたしの周りに数人いるので、「アホ」という文字に惹かれて求めました。しかし帰宅してその「アホ」の文字の入った表紙を見ていますと、どうもわたしの思いと異なるように考え、まだ本は置かれたままであります。

赤い帯には「60万部突破!」などという数字が踊っていますが、わたしなどの考えているアホ~は、アホ~同志で仲良くしよう!というような挨拶的なものです。

わたしたちアホ~仲間は、むかしのワルガキを目指していて、少しでも世間に役立つようなことをしようで?を合言葉にしています。

皆おっちょこちょい(慌て者)であります。これが良いと思えばすぐに行動を起すだけではなく、アホ~仲間にご注進とあいなります。

アホ~は血の気が多いといえばそれまでですが、アホ~と言われるだけに任侠的ですらあるのです。

子供のためにあそび場を造ったよ!と聞けば阿蘇までとんでいく!というアホ~なことをやってのけるのです。

むかしには、「たとえ火の中、水の中」というような、我武者羅な友情で結ばれています。

わたしの周囲には、そのような「アホ~」が増えつづけています。それはむかしの「ワルガキ」を大人にしたものと思って頂ければよいのです。

「アホ~」になりたい?というような女性も現れつつありますが、わたしは「アホ~」がある程度集まれば、愉快な「夢」も実現するものと思っています。

ただ東京の「アホ」と、大阪の「アホ~」は異なる!と考え「アホ~」を実行しています。

2019/02/08 | 日々日

館長

◎国会のテレビ中継を観る
2019年02月07日

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どのように与野党が紛糾している時でも、テレビなど観ることはありません。コーヒーを喫みながら、何の気なしにスイッチを押しました。

画面には予算委員会の質疑応答があり、自民党の小泉進次郎議員が、歯切れのよい質問をしていました。彼なら面白いだろうと思い、スイッチを切らずにいました。

基本的な質問を浴びせながら、ハナシは後部のヒナ段に座っている大臣たちに向けられ、応える必要のないのに、7時間も座っているのは、時間の無駄ではなかろうか?というものでした。

20人余りの大臣のほとんどは、居眠りしたりしている連中ばかりです。勢揃いすることで、内閣の威信を示しているのでしょうが、それを不要と言ってのけるのです。その痛快な質問には総理もダァであります。その小気味よい論調は見事に思えました。

厚生労働省の不手際に対する野党の追求の最中に、胸のすくような、大臣不要論は面白く観せて頂きました。

国会だけではなく、日本全体が頭を吊れての謝罪姿が、毎日どこかのテレビで行われています。申し訳ありません。と謝るうえからは、心がなくてはならないでしょう。

謝罪すればすむ!という考えが、政治屋から官僚、そして民間の社長たちにまで広がっています。笑ったり、怒ったりすることをなくした人たちは、どうすればよいのでしょう?

2019/02/07 | 日々日

館長

◎「旭屋心禄」というお休み処
2019年02月06日

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「旭屋心禄」という一見古風なお休み処を、2月8日にオープンさせるというので、わたしは一生懸命色紙に祝字を書いた。

その一風変ったお店は、和歌山の龍神村にあり、旅館名の旭屋をそのまま使い、心禄とは愛犬の名まえだといいます。

先般招かれたわたしは、その龍神村でお話をいたしました。その会場の最前列にいた女性が、わたしの話を最も熱心に聞いて下さったのが、「旭屋心禄」という変った店舗をオープンさせるMさんです。

彼女は、その後家族と共に、四万十のかっぱ館などを見学して下さり、その好奇心と行動力には圧倒されました。二カ月足らずの間に文通も四回交換しました。

2月8日のオープンには、わたしの方もワンダーフェスティバルという年2回行う創りの祭典が10日にあるので、参加できません。そこで下手な祝字を書いて贈ることにしました。

一瞬ともいうべき出会いではありますが、お互いに惹かれ合うものあれば、百回会うよりも大切というのが、わたしの心情です。

温泉地の龍神村にあって、その賑いの一助になれば、「旭屋心禄」も共に繁栄することを、心より念じています。

2019/02/06 | 日々日

館長

◎「黒澤明と三船敏郎」
2019年02月05日

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先日「黒澤明と三船敏郎」という本を見つけました。神経配りしていると欲しいと思う本がみつかるものです。その本は700ページもあるぶ厚い本で、「ステュアート・ガルブレイス4世」というアメリカの映画評論家の作品です。

背表紙には、「日本映画の巨人たち、日本人の知らなかった実像」とあります。そして黒い帯には、世界は「クロサワとミフネ」をどう見たか?という大見出しがあり、「映画史に多大な影響を与えた二人の波乱万丈の人生と全作品に、アメリカ人映画評論家が迫る。関係者へのインタビューと資料調査により、日本国外での評価、制作裏話、苦悩、そして別離、晩年までがつぶさに明かされる。貴重な写真も多数収録」

帯の裏には「1946年当時、表現の自由は許されただけではなく、積極的に推奨された。映画や脚本で成功した黒澤は、ますます芸術面で自由を手に入れた。三船の才能は荒く、ダイヤモンドの原石のようだったが、それを黒澤は、日本映画史上最高の輝きを放つまで磨き上げた。・・・・二人が組んだ時の映画は、ほかの日本映画の多くと違い、世界的な脚光を浴びた。

プロしての評判は高まり、二人は別々の道を歩むことになり、ある日突然、二人はスランプに陥ることになる」という本文からの引用が掲載されています。

昨年末、黒澤明に魅入られて、黒澤のトリコになったわたしは、大型本の「黒澤クロニクル」という豪華本まで手に入れました。

勿論、自伝書ともいうべき「ガマの油」というように手当たり次第に蒐めています。それでまずは「七人の侍」から調べつつあります。

その途中に「黒澤明と三船敏郎」を手に入れました。アメリカの映画評論家がこのような大作を、2015年に発売されたというのにも驚きました。

早速「七人の侍」の記事はどうか?と調べますと、56ページに亘って記載されているのです。

黒澤明研究?を始めようとしているわたしにとり、「黒澤明と三船敏郎」の700ページに亘るぶ厚い本は大いに助かります。その厖大な量には圧倒されますが、その努力に感謝しながら、しっかり勉強しようとわくわくしています。

2019/02/05 | 日々日

館長

◎土佐 伊野の行商人
2019年02月04日

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伊野の町には、ちっちゃな電動車の後に籠をくくりつけ、その中にサカナや野菜を載せて、行商しているお年寄りがいます。という報せを聞いたわたしは、ほんまに?そんな老人が?と驚いてしまいました。

なぜ驚いたと申しますと、その老人はオン歳が91歳というのです。91歳といえば、わたしと同じ歳であります。91歳はオレ一人などと思っていただけに、その傲慢なハナをへし折られたような衝撃を受けました。

びっくり仰天とはこのようなことを言うのでしょう。91歳で行商するという根性には、すごい年寄りもいるものよ!と心から敬畏を表しました。毎日新鮮なサカナや野菜などをつんで、町の得意先を巡るのです。

ちっちゃな電動の車ですから、得意先を回るのにも、あれやこれやと、頭を使わなくてはならないでしょう。次は何をお持ちしましょうとか、新しい注文を取ることも必要です。

今日はAさん宅ではサシミが食べたい?と言われました。そしてBさんところではサバが欲しい!との注文を受けました。あれやこれや得意さんの暮らしの状況を察知して、次の商いを組みたてれば、いろいろと需要はあるものです。

小さな町であるからこそできるというのではなく、高齢化時代を見据え、お年寄りの欲するモノを届けるというのであれば、時代を先取りした商いといえるのではないでしょうか?

わたしも年寄り夫婦でありますが、サシミを食べたいと思っても、そうはかんたんに参りません。そのような高齢化されたお宅が多いのです。お元気であれば新手のご用聞きといえるでしょう。

昨日の電話では、わたしと同じ1928年、5月生まれということで同じ年生まれの辰年という不思議な縁と申せましょう。

さすがは辰年、世の中のためにがんばっているわい!と何か同質のものを感じて、次に高知へ行った際には、少しだけお時間を頂いて「おんしゃ~も91歳かよ!」と話したいと楽しみにしています。

91歳はオレ一人!!という自負心をケとばされても、何というか、爽快な気分であります。がんばって下さい。同志として応援いたします。

2019/02/04 | 日々日

館長

◎ガマの油(黒澤明自伝より)
2019年02月01日

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なつかしい言葉であります。「ガマの油」などという表現は、すでに忘れ去られた言葉となっているようです。わたしのようなむかし人間でなければ、その意味すら分らないでしょう。

「ガマの油」広辞苑で引くと、「ガマの分泌液を膏剤にまぜて練ったという膏剤。昔から戦陣の膏薬として用い、やけど、ひび、あかぎれ、切り傷等に効能あるといわれ大道に人を集めて、(香具師)ヤシが口上面白く売った」と記してあります。

今はガマ蛙など見ることはなくなりましたが、50年ほどまえには、田舎の岬などに潜んでいたものです。イボガエルの巨大なモノと考えればよいでしょう。

むかしのチャンバラ映画などでは、抜身を持って売る大道芸人は、なくてはならない存在でした。

「ガマの油」の自伝に作者の言葉として、次のように載っています。

「自分について書くという事は、四方を鏡で囲まれた、その真ん中に立って、四方を眺めるようなものだ。

現在の自分から、遠い過去の自分まで、見渡す限り続く自分の姿を、さまざまな角度からいやでも眺めなければならない。

四六のガマではないが、己の姿にたらりたらりと油汗が流れる思いである。

よって、この私の自伝のようなものに、この表題をつけた」とあります。

「まえがき」もあるので、少しだけ触れることにします。

「私も、何時の間にか、この二十三日(昭和五十三年三月)六十八歳になる。

その年月を振り返ってみると、要するにいろんな事がった。というほかはない。自伝のようなものを書いたら、という人も多いが、開き直ってそんなものを書く気にはなれなかった。大体、自分自身の事は書き残すほど面白いとは思えないからだ。

第一、書くとしたら映画の話ばかりになってしまいそうだ。つまり、私から映画を引いたらゼロということだろう。

しかし、今度、私の事をいろいろ書いて欲しいという立っての要望があって、ついことわりきれずに引き受けてしまった。それはどうもジャン・ルノワールの自伝を読んだ、その影響によるものらしい。

ジャン・ルノワール氏には、一ぺんお目にかかって、晩餐をご馳走になり、いろいろお話した事がある。

その時の印象では、おおよそ自伝など書くとは思えない人柄だったのに、その人があえて自伝を書いたという事に触発されたのである。」

2019/02/01 | 日々日

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