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海洋堂シマントミュージアムビレッジ

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館長

◎ブログ休載のお知らせ
2017年06月12日

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いつもブログに目を通して下さりありがとうございます。さて、これから当分の間、ブログを休載することにいたしました。

それは、これから「四万十・かっぱの砦」という物語を創ることになりましたので、そちらにエネルギーを集中させようと思っているからです。

「四万十・かっぱの砦」は、2009年から全国の人々に呼び掛けて始まりました「四万十川カッパ造形大賞」の応募作品を4回つづけて届けられた河童作品が中心です。

それらの河童作品1700点余りを展示・演出するために造ったのがかっぱ館であり、2号館であり、茅葺き古民家であります。

その「かっぱの砦」づくりに参加して下さった佐藤さん、宗崎さん、高橋さんなどには、初めからお力添え下さいました。チェンソー作家の山本さん、そして大勢の土佐の職人さんたちの熱い思いで創り上げて頂いたものです。

「四万十・かっぱの砦」には、その他にも数えきれないほどの人々が参加・協力して下さっています。そこで物語を創るというよりは、記録のようなものを残しておかなければ・・・と思うようになったのです。

わたしとしては、この四万十の大自然の中に、自然にふさわしい河童を収めるにふさわしい建物群をつくって下さった大勢の人々を登場させた物語が創れたらと意欲的であります。

かっぱの砦は、これからかっぱランドへと発展していく、壮大なドラマでもあります。沢山の人々が、まるで子供のような気持ちで参加して下さったのです。その熱い思いを、多くの人々に伝えなければと思っています。

わたしたちは、「四万十・かっぱの砦」をつくって、それで満足している訳ではありません。好奇心をなくしつつある子供たちのあそび場、そして合宿場などというように、次々に増やしつづけようと話し合い、夢を描いているのです。

山奥の大自然の中にあるかっぱの砦は、訪れた人たちが喜んで下さいます。そのように楽しんで頂けることで、スタッフのやる気も夢もふくらみます。それがかっぱランドへの夢となって進化、充実させる勢いともなるのです。

一つ一つの河童作品を観て頂いたり、四万十の杉の木で造った柱を掌で触れることで、親しみを感じて頂けます。また茅葺き古民家の縁側に腰掛けて、四万十の木々の緑を眺めていますと、時の経つのも忘れるでしょう。

古民家には、囲炉裏もあります。また岩国の絵師上田えい子さんが描いた珍しい襖絵もあります。すべてが素朴でありますが、皆熱い思いが込められているのです。

四万十のへんぴな山の奥に、なぜかっぱの砦を造ったのか?当の本人のわたしさえ分らないのです。しかし、今になって言えることは、かっぱの砦には日本人の原点と申しますか、里山の風情があるように思います。

この大自然のもつすばらしさを、より多くの人々に伝えたいという思いから、「四万十・かっぱの砦」の物語を創ることを考えたのです。

物語を創り終えたら、またブログをお届けできるかは?わたしにも分かりません。わたしもこの5月で89歳になりました。この命がいつ?逝くのか?保証の限りではありません。

生きている間に「四万十・かっぱの砦」の物語を創らなければと意欲を燃やしています。

昨夜、打井川でホタルの乱舞を観ました。

ブログを突如休載することのご報告まで。

2017/06/12 | 日々日

館長

◎龍神
2017年06月09日

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龍神は、四万十に棲むという守護神であります。河童たちは、龍神によって守護されてきました。

この秋、かっぱの砦を中心にして、龍神の山車を巡行させることになりました。

河童と龍は、共に水に棲む伝説的な妖怪です。

河童たちが龍神を崇めるのは、天へと飛翔する限りない神通力を内包しているからといわれています。

河童と龍神がいつ頃打井川に棲みついたのかは、村人たちも知らず、ながい間交りもなかったのです。

そこでこれからは秋になると、かっぱの砦の祭りとして、龍神にお出まし願うことにしました。最近、消滅集落の噂さが絶えず、それらを少しでもなくなるように、龍神の山車を多くの人々に曳いて頂き、祈願することにしたのです。

龍神の山車は、多くの人々の熱い思いを結集して、世にも珍しい山車が造られることになりました。

天高く昇る龍神は、地上を俯瞰して、消滅集落に新しい生命のエネルギーを吹き込むのです。

龍神の山車を曳きながら、人間として何ができるのかを探りたいと考えていますので、多くの人々の参加を期待しています。

2017/06/09 | 日々日

館長

◎ホタルが翔びました
2017年06月08日

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打井川では、毎年6月になるとホタルの乱舞を観賞することができます。

今年も馬之助橋の上から、ホタルのとぶ光を観ました。まだ数匹ですが、可憐な光を点滅させながらとんでいます。

ホタルの季節はまだ先だと思っていただけに、数匹であっても驚きました。自然の中で暮らしていると、時々思いがけない感動を味わうことがあります。

四万十の大自然とPRしながら、その実何も分っていないことを知らされると愕然となります。四季折々、いろいろと変化する自然のすばらしさを探求できれば?などといつも反省します。

これから一週間ほどすれば、ホタルの乱舞する情景が観られることでしょう。しかし、その時期はあっという間に終ります。

これからホタルの季節ですよ!と知らせて上げるのも、自然の中に暮らすと申しますか、働くものたちの仕事のようにも思われます。

この度は、打井川に一週間ほど滞在しますので、ホタルの乱舞する感動を味わえるかも知れません。静かに期待しているのですが、さてどうなりますか?

田舎に参りますと、都会では気付かない、いや識らない自然の不思議がいっぱいあるのです。ホタルもかっぱの砦を彩る仲間といえそうです。

2017/06/08 | 日々日

館長

◎餅屋はもちや
2017年06月07日

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むかし、専門的な技を持った人を、「餅屋はもちや」と尊敬していました。専門的な仕事は、専門職に任せたらよいという例です。

この度も、山車の稼働部分をどうすればよいのか?とあれこれ悩みました。古い小型バンを改良できないか?古いリヤカーを組み合わせたら?など、素人考えは、同じところを堂々巡りするばかりです。

経費を安く上げるために?とあれこれ考え、結局いつも高くついてしまいます。

「山車の台で悩んでいるんやが、何かよい方法はないやろか?」と友人のTさんにお知恵拝借とばかりに相談しました。

「そんなが、かんたんなことよ。オートバイの古いもんを探してきて、鉄パイプなどで溶接すりゃええんよ!」といとも簡単に応えてくれました。

「山車の設計図のようなもんを、書いてくれたら、すぐにできるぜよ。こうみえても、むかし鉄工所でも働いちょったけん・・・」大船に乗ったつもりで・・・任しといて・・・と胸を叩くので、悩んでいた山車の動力部分は、一件落着となりました。

Tさんとは、すでに10年ほどの付き合いです。風変わりないごっそうながら、何事も軽く受けおってくれるのです。

Tさんには、兄弟のように付き合っている鉄工所の社長がいるので、何ちゃ心配せんでまかしちょいて・・・と自信たっぷりな口調に、それじゃ~ということになりました。

おそらく気心の分っているTさんの仲間であれば、わたしには少しの不安もありません。

山車そのものが手づくりなので、いろいろな人たちに参加して頂ければ、龍の山車の面白さ、楽しさが演出できそうに思われます。

高知の山奥では、消滅集落という所が多くなり、祭りや、お御輿担ぎも、次々に消えつつあるのです。そのような時代に、河童の祭りを仕掛け、山車を曳き回すのは、それなりに意義ある催しだ!!と自負しているのです。

2017/06/07 | 日々日

館長

◎集落の人々と小宴
2017年06月06日

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最近は、集落の人々と、古民家で小宴を催すことが多くなりました。

それは先般、中打井川の区長さんが、わたしに感謝状を贈って下さってからのように思われます。わたしがかっぱの砦に来る際、高知の浦戸湾でハイカラ釣りをした獲物をたずさえ、スタッフたちと囲炉裏でサカナを食べる習慣ができたからでもあるようです。

その囲炉裏を囲んで、サカナなどを煮たり、焼いたりして食べますと、なかなか美味しいだけではなく、それだけの雰囲気があります。その際集落の親しい人たちを招いたことが始りです。

集落に来てから12年、いろいろと複雑な気分を味わいましたが、打井川の人々に理解して頂けたことは、何よりの収穫のように思います。

過疎化の問題は、限界集落から消滅集落へと向いつつあるだけに、かっぱの砦に閉じこもるのではなく、これからは全国へ、いや世界の人々を招致できるようにより充実進化させ、打井川を以前に増しての賑わいを招来させたいものです。

かっぱの砦から、かっぱランドへ、子供と大人が共に楽しめる大自然の中のパークづくりを目指したいと夢みています。

かっぱランドの夢を果すためには、スタッフだけではなく、集落の人々の理解と協力がなければ果せないのです。

茅葺き古民家を移築し、古民家と囲炉裏は、これまでも多くの人々をつないできました。はじめに、「四万十カッパ造形大賞」で河童作品、1700点余りを届けて頂き、チェンソー木彫河童、そしてかっぱ館や、2号館、茅葺き古民家の移築など、多くの職人さんたちがいます。

かっぱの砦を振り返りますと、数え切れない人々の思いと、情熱がこもっているのです。

その熱い思いがスタッフに通じて、集落の人々へとつながりました。この消滅集落と言われている時代に、打井川を発展させたい!というのがわたしたちの夢であります。

その基本となる地元の人たちが協力して下されば、かっぱランドの夢は広がるでしょう。

2017/06/06 | 日々日

館長

◎黒を白にできるのか?
2017年06月05日

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アメリカのトランプ大統領もおかしいけれど、日本の安部さんもどこか人間離れしているように思われます。なぜなら人本来の何かが抜けていて、己だけで政治をしているというように受けとられているようです。

黒と白は、よく勝ち負けの形に使われるけれど、黒は暗い闇をイメージさせるだけではなく、人間の狡猾さの象徴でもあります。

最近は、前文科省の事務次官の前川さんが、体を張って加計問題の真相を示す資料を提示しました。すべて白で葬るつもりの政治は、大慌てで「前川封じ」を展開するようになりました。

官僚が前川さんのように事務次官になるのには、並大抵の努力ではないようです。そのすべてを投げうって、加計問題の白黒を付けようと提示したのですから、政府は真摯に受けとめて、黒か白かの決着をつけなくてはならないでしょう。

週刊誌などは一斉に加計問題を取材して、誌面が賑いはじめたので、これからの展開は面白くなりそうです。

「週刊朝日」の(6・9号)の「お便りクラブ」に痛快な投書があったので、次に転載いたします。

「安部一強の横暴で『麻生の乱』には私も絶叫いたしました。安部さんNO!私は何の立場もしがらみもない一介の老人だが、安部さん大嫌いの声を秘めて毎日暮らしているようなもの。どこが嫌いかって、すべてが嫌い。国会で野党の質問をしりそげるのに、かんで吐き捨てるようなものの言い方。『何度も何度も言ってるじゃないですか』式の強弁。打って変わって、米トランプ氏の所へお祝いに走った時の、満面ニコニコ。犬ならしっぽがちぎれるように振っている。胸が悪くなった。要するに、あの人には人間としての魅力なし。私は憲法も改めるべきとは思っているが、この人の下で改めて欲しくない。別の人、次の人でと思っています」

東京都府中市の富澤さん、89歳とあります。思うこと考えることが同じような方がいるものと愉快になりました。なぜ愉快かと申しますと、富澤さんもわたしと同じ89歳で1928年生れの辰年生まれと思われるからです。

お互いに昭和を生き抜いてきたもの同士であり、気持ちの通じ合うものがあるようです。先日のブログに昭和維新のことを綴りましたのも、現状を憂うからであります。

世間では、安部一強の弊害に困惑している人たちもいるのです。オゴル平家は何とやら?そろそろ気付いて欲しいものです。

2017/06/05 | 未分類

館長

◎50年ぶりのお客さん
2017年06月02日

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仕事場の下は、海洋堂のショップになっています。

大阪にもショップをつくってくれ!という海洋堂ファンの要望に応えてつくったショップです。

この門真の海洋堂本社周辺は、むかし守口にあった小さなプラモ屋の商圏でもありました。子供の頃、自転車でプラモ屋に通っていた子供も多くいたようです。

当時の子供たちも、50年経てばすでに50代、60代のおっさんになっています。50年まえの子供たちの顔を記憶している筈もありませんが、子供たちは、おっさんの顔は覚えてくれています。

ショップを通り2階の仕事場へ上がろう!としていた時、「阿修羅」をお求めに来られた年配の方が、わたしの顔を親しそうに見ています。

「フィギュアはお好きですか?」と挨拶がわりに声を掛けますと、「むかし、守口の海洋堂へ、プラモデルを買いに通っていました。今日は『阿修羅』を買わせて頂きに参りました」と言うのです。

小学6年生の頃というのですがわたしには記憶はありません。

子供は成長するし、すべては変化します。おっちゃんと呼ばれていたわたしなどは、余り変わっていないようです。

「ショップでは、立ち話も・・・」ということで、2階に招じ入れました。

仕事場である2階には、余り客人は通しません。特別な要件のある方は、本社3階にある館長室にお通しいたします。

その50年目のお客さんとは、少しだけお話を交えるつもりでしたが、お互いになつかしく、2時間余りお話しました。

「海洋堂で忘れられないのは、おっちゃんに戦車で一番むつかしいキャタビラ部分の車輪を取り付けて頂きました。それまでは失敗ばかりしていただけに嬉しかったです。ありがとうございました。」と50年ぶりにお礼を頂きました。

一坪半の小さなプラモ屋を開業している時は、毎日が一生懸命というよりは、必死の思いで働いていました。子供たち相手に、どのようにすれば喜んでくれるだろうか?と寝る間も惜しんで商いしていました。

Yさんも子供の中の一人だったのでしょう?50年まえのお礼を言われたのには恐縮しました。そして50年まえの、わたし自身を振り返って胸が熱くなりました。

アメリカへ行って、飛行機のりをしたりしたというような話を、楽しそうに話してくれました。四万十のホビー館などには、むかしの子供が立派に成長して「おっちゃんテレビで見たので、いつかは来よう!と楽しみにしていました」と逢いに来て下さった方も、4人おられました。海洋堂の商いを通じて、商い冥利につきるのではないでしょうか?

2017/06/02 | 日々日

館長

◎維新の会とは何ぞや?
2017年06月01日

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「維新の会」とは何ぞや?」初めは社会を、世間を新しく変える!という気概のある連中が集った政治集団と思っていました。

しかし、いつの間にか?自民党にすり寄る公明党、そしてそれにぶら下っている維新の会の漫画をみて驚きました。ぶら下っていて、政治が、社会が変えられるでしょうか?

わたしの子供の頃、2・26事件があって、その頃若者たちが歌っていた唄がありました。それは「昭和維新の唄」というもので、わたしなど子供でも歌っていたようです。

長い歌詞でしたが、わたしがはっきりと覚えているのは次の歌詞で何番目か分かりません。お風呂などに入って、気分よくなると、今でも口ずさむ時があります。

「泪羅の淵に波騒ぎ、巫山の雲は乱れとぶ、混濁の世にわれ立てば義憤にもえて血潮をわく」

という勇壮な詞でありますが、今の若い人たちには無縁であるかも知れません。しかし、維新の会を標榜するのであれば、この歌詞を無視することはできないでしょう。

上の歌詞は、むかし中国の楚という国が乱れに乱れていて、それを嘆いた屈原という詩人が、泪羅の淵に投身したという古事から引いたものです。

軍師の横暴への義憤から「昭和維新の唄」が流行したといわれています。子供のわたしでさえ、うろ覚えに覚えているのですから、当時の若者の間では流行していたのでしょう。

かつて日本には「明治維新」という時代があり、新しい日本が生まれました。「維新の会」というほどですから、今の社会を変えよう!という連中が集って結成されたものとばかり思っていただけに、追随政党とは恐れいりました。

維新の会の看板を掲げるなら、もう少し独自性を発揮して欲しいものであります。ぶら下がりの党など、余りにも哀れではないでしょうか?

2017/06/01 | 日々日

館長

◎小布施ゆき?
2017年05月31日

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5月になれば、長野県の小布施へ行こうと予定していたが、日程の調整がつかず断念しました。

葛飾北斎が89歳になって、小布施へ行った古事にならって、わたしも、89歳の誕生日には、小布施へ行こうと企んでいました。しかし、よくよく考えてみれば、6月でも7月でも89歳の間に行けばよいのです。

北斎が亡くなる90歳に描いたとされる「富士越龍図」は、白い富士山と、黒雲と共に昇る龍の迫力は、絵画にすべてを賭けた北斎の生き様をみるように思います。

北斎のような生き方ができたら・・・と同じ辰年生まれのオトコは考えるのですが・・・せめて小布施へゆき、晩年になっても揺るぎのない北斎の何かを掴みたい!という気持ちがありました。

描くモノは無限にあり!という北斎は、死の寸前まで富士と龍を描きつづけたのです。辰年生まれにこだわるのは同じであっても、まだ何も残していないわたしとしては、せめて北斎の89歳に描いた画を眼前にしたい!という思いがつよくあるのです。

手前勝手に5月の誕生日頃にと決めていただけではありますが、必ずや近々行くようにしたいと考えています。そうしなければ辰年生まれとしての面目がたたないでしょう。

2017/05/31 | 日々日

館長

◎河童の河次郎
2017年05月30日

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「河童の河次郎」というプラモケイが、播州福崎町の観光課から、ネット販売されています。

企画の上田君がプレゼントしてくれた時、「こりゃー一本取られた!」と正直脱帽いたしました。

高知の四万十の山奥に、かっぱの砦を設けて、1800体もの河童作品を展示しているわたしとしては、ぎょっといたしました。

それでも福崎町の観光課の皆さん、よくぞ商品化されたものよ!と敬畏を払います。

かっぱの砦を設けて、慢心している訳ではないのですが、「河童の河次郎」を眺めながら、わたしたちにやる気を起させて下さいました。今少しずつプラモケイが見直されていますので、そのタイミングを先取りされたことは立派です。

これを期にわたし共でも、新しい河童作品を数多く創り、「河童の河次郎」と共に、全国的な賑いを誘因いたします。

河童の仲間が増えました。これを励みにして、かっぱの砦といたしましても、河童の普及を図りたいと話し合っています。

2017/05/30 | 日々日

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