館長室

海洋堂シマントミュージアムビレッジ

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館長

◎初心を忘れず
2018年04月20日

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上海から帰る飛行機の中に、機内誌がありました。

その機内誌の最初に「不忘初心」という文字がありました。「初心を忘れず」という言葉は、幼い頃から聞かされてはいましたが、改めて見ると、「お前さんは、初心を忘れてはいませんか?」と問いかけられているようで、少しもじもじさせられました。

90歳になって、今更?という感じもしないではありませんが、「初心を忘れず」は、いくつになっても考えさせられます。なぜなら人間は歳を取りますと、世間ずれしたり、横着になったり、また狡くもなるからです。

日々「初心を忘れず」に精進していれば、怖れるものはない筈です。しかし、人間はいつしか傲慢になり、只今世間を騒がせている財務省などの不祥事になります。

ながく官僚や、政治屋をしていると、「初心を忘れず」などという感覚は全くなくなってしまうのでしょう。恥ずかしいことでも、恥じる素振りさえ見せない厚顔振りは立派?です。

「不忘初心」は中国から渡来した立派な言葉です。日本のお偉い人たちに、煎じ薬のようにして飲んで頂きましょう。

わたしにしても、初心を忘れていませんか?と問われますと、戸惑うように思います。「不忘初心」はいくつになってもありがたい、お経のような言葉です。

2018/04/20 | 日々日

館長

◎佐藤勝彦さんを偲ぶ(1)
2018年04月19日

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鹿児島のDさんからお手紙を頂き、わたしも佐藤勝彦さんが昨年亡くなられたことを知りました。Dさんは、わたしのブログの日々日を、2016年10月28日に見られたそうで、わたしが佐藤さんに会っていたと思い手紙を下さったのです。

Dさんは佐藤さんのファンで、奈良や京都などの展覧会などもよく観ておられる、かなり熱心なファンなのでしょう。

わたしは古い季刊誌「銀花」を引っぱり出して、佐藤勝彦さんの生き様に、この歳になって再び感動し、いつか奈良の佐藤さんをお訪ねしたい!とブログに綴っていたようです。

それでDさんは、わたしが亡くなられるまえにお会いしているのではなかろうか?とお考えになられ、お手紙を下さったのでしょう。

佐藤さんの死は、わたしにとってもショックでした。そこでDさんには、古い1983年の「銀花」の特集記事をコピーして届けました。Dさんは、その頃の雑誌はお持ちではないと考えたからです。

むかし、わたしは季刊誌「銀花」を購読していたので、佐藤さんの生き様は羨望していました。それは現代人にとり佐藤さんのような生き方を知って欲しいと、ブログでお伝えできたらと思ったのでしょう。

手許には1975年の第24号と、1983年に佐藤勝彦の特集が編まれた2冊があったので、1983年の第56号の特集をコピーして送りました。

第56号の特集は「佐藤勝彦 天上天下ぼく独尊」というタイトルで、次のような編集者の記事が掲載されています。

「勝彦の絵を見るとほほえみがわく。そしてなんだか身内に力がみなぎる。勝彦の言葉を読むと肩の重荷が取れる。そして生きる張り合いが出てくる。勝彦に会うと嬉しくなる。勝彦は自分が自分らしく生きることで、周囲に生きる力の種をまいているのだ。

その種を一粒もらって幸せの木を育てたい。今、勝彦の一粒の種が、和紙にかきつけた絵や書となって、この季刊「銀花」全冊に納まっている。」

振り返ると、佐藤勝彦さんが生きているものという前提で、わたしはお会するという行動を起さなかった。奈良のお山に住み、書や絵を描き、陶芸をし、学校の先生をされていた佐藤さんの生き様を、古い「銀花」を通じて種を蒔きたい!と思いたちました。鹿児島のDさんからのお手紙が、わたしに佐藤勝彦さんの生き様を伝えよ!というシグナルであったのかも知れません。不思議な感であります。

2018/04/19 | 日々日

館長

◎龍の絵を頂く
2018年04月18日

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辰年生まれのわたしは、龍のコレクションをしていて、便箋などにも龍の絵をコピーしたものを貼ったりしています。

先日お父上を亡くされた上田君が、父の遺品の中に二枚の龍の絵がありましたので、貰ってやってくれますか?と言ってプレゼントしてくれました。

お父上は、わたしより一歳年下で、巳の歳生まれだったそうです。少年時代から絵が好きで、お正月などには干支の絵を描いていたと申します。見事な龍図であります。

二作共に昇り龍で、気迫が込っています。赤い台紙に金の縁取りされていて、その上に龍の絵が重ねられています。わたしもこれまで、せめて龍の絵ぐらいは描きたいと思いながら、なかなか果せずいるだけに、お父上の絵には脱帽です。

四角い色紙に龍を描くのは、それなりにアイデアがなければ果せません。波や、金の玉を持った右足などの位置取り、何よりも波の上を天へと飛翔する龍の力感を表現するのは大変でしょう。

きちんと落款も押してあって、見事な格調の高さであります。手間を掛けずに、見事な紐で締めてあり、わたしもすぐに仕事場の壁に掲げました。

巳の歳生まれのお父上は、辰年に生まれたかったのではないでしょうか。龍の絵からは、その無念さがのぞいているようにも思われます。

2018/04/18 | 日々日

館長

◎クロシオ先生の海
2018年04月17日

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20年ほどまえ、海洋堂の創生期に「クロシオ先生の海」という童話を創っていました。その童話を20年ほどまえに出版いたしました。

「絵本とフィギュア」をドッキングさせたわたしの、最初に出版した童話の本でした。

「クロシオ先生の海」に登場する仲間たちを、フィギュアを付けたのは画期的な方法といえましょう。

4月6日は、中国上海で初めてのワンフェスです。その会場で「クロシオ先生の海」を両手に持った中国の若者が、「館長さんどうぞサインください」とたどたどしい日本語で話掛けられたのには驚きました。

「はいわかりました」と応じたものの、「クロシオ先生の海」をどこで手に入れたのでしょう。その若者は、海洋堂のブースの前なら、わたしが現れるだろう!という確信があったようです。

まずは「ありがとう」と言って握手してから、「九十歳は夢みる小僧」としっかりサインして上げてから、名刺を副えて感謝の気持ちを伝えました。

わたしの童話「クロシオ先生の海」が、中国の若者の手にわたり、それにサインしたと考えるだけで、感動がこみ上げ胸が熱くなりました。それだけでも上海に来て本当に良かったと嬉しくなりました。

2018/04/17 | 日々日

館長

◎やなせたかしさん
2018年04月16日

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4月13日の読売新聞の編集手帳に、漫画家「やなせたかしさん」の記事が載っていたので、ちょこっと転載させて頂きましょう。

「5年まえに94歳で亡くなったやなせたかしさんの自伝をめくると、あらためて驚かされる。「アンパンマン」でようやく漫画界に席ができたのが60歳頃とある◇34歳で脱サラしたあとは挫折の連続だった。懸賞漫画でグランプリを取った◇小躍りした。連絡を待った。そんながっかりが度重なっても、すねるようすはうかがえない◇晩年は詩もかいた。◇絶望の隣に/だれかがそっと腰掛けた/絶望は/となりのひとにきいた/「あなたはいったいだれですか」/となりのひとはほほえんだ/「私の名前は希望です」

希望といえば、政党名にもなったように手あかのついた言葉ではあるけれど、なぜかやなせさんが言うと安心感がある・・・。

やなせさんと同じ土佐人で、牧野富太郎さんも、小柄な方ではあるけれど、わたしも敬愛してやまない土佐人であります。

お二人共に不屈の精神の持ち主で、「土佐の偉人です」やなせたかしさんとは、亡くなられる一年ほどまえ高知で会食させて頂きました。しかし、すでに言葉も鈍く、やなせ節は聞けなかったのは、心残りであります。

2018/04/16 | 日々日

館長

◎映画「七人の侍」
2018年04月13日

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今年に入って「黒澤明DVDコレクション」を届けて頂いています。

「羅生門」で6作目になるけれど、黒澤明監督は、大正から昭和を生きた俳優と申しますか、個性的な日本人を映画に登場させました。

特にわたしは、その俳優群の中でも「七人の侍」に出演された人々はすばらしいと思っています。今ならどのように探しても、探し出せない日本人ではないでしょうか?

すべての日本人の質が小粒となり、俳優も個性的な方はいなくなったようです。わたしのようなむかし人間にとって、寂しい時代となりました。

毎日のようにテレビで、ぺこぺこ頭を下げる、つまり恥ずかしいことを知らない、つまり厚顔無恥な人間ばかりになりました。

国会のやり取りを見ていても、ウソを平気でつくというよりは、ウソをウソで上塗りするという茶番を繰り返しています。

1954年「七人の侍」が公開された頃は、まだまだ「ウソは許さん!」というような男も大勢いたようです。「七人の侍」に出演された俳優たちには、その気概がありました。またその気概がなければ、黒澤監督は使わなかったでしょう。

次に「七人の侍」に出演した俳優を列記いたします。

三船敏郎、志村喬、津島恵子
島崎幸子、藤原釜足、加藤大介
木村功、千秋実、宮口精二
小杉義男、左卜全、稲葉嘉男
高堂国典、東野英次郎、上田吉次郎、多々良純
渡辺篤、小川虎之助、山形勲

以上19名が名を連ねています。名前を刻むだけでも、その風貌が浮んで参ります。

左卜全さん、東野英次郎さん、多々良純さんそれぞれなつかしく想い出されます。黒澤監督の選んだ俳優の個性的な演技のすばらしさは、そのまま蘇えるのです。

むかしは黒澤さんをはじめ、三船敏郎、志村喬といったサムライがいて、凄い映画が創られたのでしょう。

2018/04/13 | 日々日

館長

◎中国上海でのワンフェス
2018年04月12日

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4月6・7日の両日、上海の見本市会場で中国で初めての「ワンフェス」を見学して参りました。

さすが13億人という中国だけあって、若者が圧倒的に多い「ワンフェス」でありました。

及び腰と申しますか?どうなるか?と不安な気持ちで臨みました。初日に殺到する入場者を見て、この勢いなら大丈夫と不安は一瞬に吹っとびました。

これほど沢山集まる市場を、これまで関心すら持たなかった感覚のなさを反省させられました。中国の若者の好奇心や向上心は、日本の若者をはるかに凌駕する力がありました。

ネットなどで刺激を受けるという、世界共通認識をわたしのような古い人間にも、それを識ることができました。

そうなると中国だけではなく、東南アジア全体を商圏として考えなくてはならない時代に入ったという実感がありました。

この度の「上海ワンフェス」は、実験的な形ではありますが、これを機会に怖れることなくチャレンジする時代に入ったのです。

そのためには、場当たり的な開催ではなく市場調査などもテッテイして若者の動向調査はとくに欠かせないでしょう。

中国での成功は、これから先の展開に弾みをかけるものとして、フィギュアづくりそのものも、東南アジアへの進出する時がきたように思われます。それは入場した若者から読み取れました。

2018/04/12 | 日々日

館長

◎卆寿を目前にして
2018年04月11日

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5月11日は、高知の城西館で「卆寿」のパーティを行う予定です。

「卆寿」の90歳など祝うのか?何で90歳まで生きたんや?などという?思いをお持ちになられる方もおられるでしょう。

わたしとしましても、これといった形も残さず、のうのうと生きてこれたものよ?という怖れもあります。

「還暦」から始って七十歳「喜寿」八十歳の「傘寿」一昨年の「米寿」は、米の字を分解すると八十八となり、日本人の平均寿命を超える長寿の祝いだそうです。

まだまだ先には「白寿」などが控えてはいますが、これから先はオマケのようなものですから、余り気にせずがんばりましょう。

振り返りますと、いつも調子はずれの生き様ばかりで、余り褒められるような形ではなさそうですが、生きた証としての卆寿です。

今更慌てふためいてもどうにもなりませんが、卆寿を期に肩の力を抜いてがんばれば、何とかなりそうにも思っています。

人間というのは、どのように気張ったところで、この程度ではなかろうか?などと達観はしています。しかし、これからは肩の荷をおろしましたので、やり残している夢に挑戦できたら・・・などと考えたりしています。

人間の真価は、90年の経験を活用できる「卆寿」からかもしれない!と言いながら人生の帳じり合わせしよう?などと相も変らぬのん気屋であります。どうぞよろしくご友誼下さい。

2018/04/11 | 日々日

館長

◎訃報がとどく
2018年04月10日

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わたしのような年齢になると、次々に訃報がとどいても、不思議ではないのです。それでも有能な若い方が亡くなると、なぜ死に急ぎするのか?と頭を抱えます。

90歳になれば、お迎えがきても慌てることなく対応できるように思います。それは友人・知人の訃報を聞いて来たので、死に対する感覚が鈍っているのかも?知れません。

わたしの歳を考えれば、ある日ぽっこり逝っても不思議ではないのです。つまりじたばたしても、どうにもならない歳であります。それ故に、せめて身辺整理ぐらいは・・・と思っても、ないなか死に仕度などできそうにないのです。

残り時間は少ないのですから、有効に役立てたい・・・などと呟いていても、結局はふわふわと宙に浮いてしまいます。

90歳になれば、視野も広がり、世間が面白く映るよ?などとしゃべってはいても、おのれとなれば意気地がなくなるのです。

先日もU君のお父さんが亡くなりました。その時は「そうか?」と沈痛な思いで聞いていました。わたしより一つ下の死は、胸に突き刺るほど厳しいものです。

「病気で苦しむより、はやく逝ってよかったね?」などと軽口をたたいているわたしがいるのですから、わたし自身が呆れてしまいます。

さて、死を迎えた時の自分は・・・どうなりますやら?

2018/04/10 | 日々日

館長

◎九十龍と決めました
2018年04月09日

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5月11日の卒寿のパーティのタイトルは、辰年生まれのわたしが、90歳になったということで、「九十龍」に決めました。

葛飾北斎は、生まれた辰年に終生こだわったようです。辰年に生まれた連中は、それぞれに龍にこだわり、龍のコレクションなどをしています。わたしもその一人で、これまで龍にこだわりつづけて参りました。

北斎は90歳で亡くなりますが、江戸時代ですから今なら100歳以上ではないでしょうか?89歳で長野の小布施まで行った故事にならって、わたしもその足跡をたどろうと気負っていましただけに、果せなかったのは残念でした。

長生きしたいと思い、これまで生きてきたつもりはないのですが、90歳になったのですから、これからは世間のために役立つ年寄りでありたいと考えてはいます。

「九十龍」というのは、龍のような勢いをもって、へこたれることなく生きよう!という思いを込めました。

「九十龍」のパーティは、皆さんに楽しんで頂こう!喜んで頂こう!と企んでいますので、どうぞご期待下さい。

2018/04/09 | 日々日

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