館長室

海洋堂シマントミュージアムビレッジ

NEWS

館長

◎感謝状を頂戴する
2017年04月28日

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先日、中打井川の宗崎区長さんから感謝状を頂きました。

これまで、国や、県や、町から感謝状や、表彰状を頂いて参りました。それぞれの彰状は、嬉しく、ありがたいのですが、この度の中打井川の感謝状は、何より嬉しいものであります。

なぜなら打井川に参りまして10余年、集落の人々との交流と申しますか、付き合いはなかなか難しく、表面的な対応や、挨拶を交える程度でありました。

四万十川から5キロの山奥の集落には、むかしながらの古いしきたりや、付き合い方があります。それらを認識しているつもりではありますが、月に一度か二度大阪から来る程度では、なかなか親しみのある交流はできないのです。

それでどうしても集落の人々との交流も、どうしても挨拶程度の形になってしまいます。

集落の人々から、わたしたちをみれば、突如として現れた異邦人のような連中と映るでしょう。

声を掛けて、打ちとけたと思いながらも、たまに現れるわたしなどとは、どうしても他人行儀なものになってしまうのです。

それでも、10年という歳月は、そのようなかたくなな形を氷解してくれているように感じています。口下手な集落の人々も、同じ気持ちになっていると思われます。

初めは、集落から4キロ山奥にある馬之助神社を建て替えたいという思いだけで打井川に来たわたしは、いつの間にか、ホビー館を設け、かっぱの砦をつくることになってしまったのです。

しかし、父親の関わりのある馬之助神社を建て替える気持ちは、今でも心に刻んでいます。

今は打井川だけではなく、四万十町、高知県全体が、過疎化の波に洗われています。これからも観光客を招致する仕組みづくりは必要なのです。

打井川の道も広がり、観光バスでお越し頂けるようにもなりました。先日は台湾からも来て下さいました。

若いスタッフたちも一生懸命がんばってくれています。また地元の人々との接点も増えつつあります。嬉しい兆候であります。

本当にありがとうございました。大阪から来るわたしは、時々挫けそうになることもありました。しかし、この度はやる気と勇気を頂きました。最高の感謝状を頂きまして、スタッフ共々、心からお礼申し上げます。

2017/04/28 | 日々日

館長

◎4月も下旬となりました
2017年04月27日

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4月も下旬となりました?それが何やねん!3月がすぎ、4月になれば、すぐに5月がやってくる?とぼやいていても、時間の経つのをとめる術はないんや?

違うねん?わしの言いたいのは、何もでけんうちに時間だけが先にゆくちゅう!ことなんや?ついこの前は1月やったろ?2月は逃げてゆくで、すぐ3月になり、4月も終ろうとしているやないか?時間がそんなにはよう過ぎてもええんか?
以上は年寄りのぼやきであります。

4月が終って5月がくれば、暑い夏がきて、落葉の秋になり、寒い冬がくる?という当りまえのことが年寄りになると、辛く寂しい・・・。

歳を取ると思考は鈍く、動きは緩慢となり、時間だけがせっせと時を刻んでくれるので、それが恐怖になるほどおそろしいのです。

そんなアホ~なこと考えてるから?時間だけが気になるんとちがうかいな?なんぼ時間を追っかけても、追いつく筈はないんやで?そう言えば去年もおなじようにグチっていたなァ?

4月にハワイへ行ってきたやないか?年寄りがハワイなどへ行くのはゼイタク?と思わんのかいな?なさけないわ?

2017/04/27 | 日々日

館長

◎トイレに座って
2017年04月26日

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歳を取ると、あわてもんのわたしでも、トイレに座っても慌てなくなりました。トイレには、右に棚があり、紙とペンが置いてあり、アイデアが浮かぶと、すぐに記録できるようになっています。

若い頃カツオ漁師などをしていた頃は「早メシ早クソ芸のうち」というような言葉があり、めしはかけ込み、トイレもすぐに終わらせるように習慣ずけられました。

なぜなら海の上は、いつも凪ばかりではなく、大時化になると、雨としぶきと風を受けながらの食事となります。右手にハシをにぎり、左手で食器を持って、がぶがぶという調子で、一気に食べるのです。

トイレも同じで、海荒れの時には、トイレなどしないような体につくり変えられている漁師は、困ることはないのですが、新米漁師の時はそうは参りません。

荒天の時にウンコなどしようものならそれは悲惨です。船尾の船縁にしがみつき、用をたすことになります。大きな波を受けたりすれば、お尻が波に洗われびしょぬれになったりするのです。

そこで「早メシ、早グソ芸のうち」というのです。新米漁師をしている時は、その要領が分らず辛い経験をしたものです。

その時代から大きく進化しました。今はどの漁船でも囲いのあるトイレがついています。

わたしのように歳を取りますと、トイレに座っても慌てることはありません。ゆっくり座って、出るまで待つようになり、あれこれ考えたり、メモすることもできるのです。

長く生きて参りまして、最も幸せな時間は、トイレにしゃがむ時のように思ったりするこの頃です。

2017/04/26 | 日々日

館長

◎鯨分限
2017年04月25日

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この男、全身全霊、「激動」伊東潤
江戸時代を代表する分限(富豪)一族の若き当主にして好漢。逆境と戦い続けた男―その名も「覚吾」
「あんたも夢をあきらめん男やな」「それが取り柄や」

紀州・太地の捕鯨集団「太地鯨組」の若き頭梁、太地覚吾。斜陽の村を救うべく、日本全国を駆け巡る。だが、維新により根底から激変する国のあり様が、未曽有の海難事故「大背美流れ」が、さまざまな困難が、奮闘する覚吾を襲う・・・」

伊東潤さんの前作「巨鯨の海」を読んでいたので、まだ太地の「背美流れ」を書きつづけることがあるのか?と思いご本を手に取りました。

帯にある「激動」という赤い活字がまず目に入りました。
そして目次を見ると「第一章 覇気奔騰」「第二章 節風沐雨」「第三章 雄心勃々」「第四章 有為転変」とありました。

現代ばなれした表現でありますが、わたしのような古い男の好みそうな熟語が並んでいました。そこで384ページの物語を二晩掛けて読み切りました。この歳になって、このようなスピードで読み切ったのは、珍しいことです。

紀州の太地には、50年ほどまえ、太地に「鯨博物館」が完成するまえの二年間ほど毎月のように通っていました。

わたしも「背美流れ」を小説にしようと、太地に滞在して、資料蒐めしたり、構想を練ったりしていたのです。しかし、海洋堂の商いが忙しくなり、小説創りは断念しました。

当時の太地には、一軒しかなかった旅館のお女将さんによくして頂き、ちょっとした作家さんのような特別な待遇をして頂きました。

平凡社から出版された「熊野太地捕鯨史」などもその頃お女将さんからプレゼントされたものです。

伊東潤さんに「巨鯨の海」や、この度の「鯨分限」を創って頂き、往年の太地の町をなつかしく想い出しています。

2017/04/25 | 日々日

館長

◎ハワイと四万十
2017年04月24日

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ハワイから帰って、ハワイと四万十を比較するようになりました。

ハワイは世界的な観光地で、四万十のホビー館や、かっぱの砦などと比較することは無茶なハナシではあるのですが、同じ観光地という視点から考えてみました。

これまでわたしは、なぜこのようなへんぴな四万十にホビー館などつくったのか?自問自答することがありました。

四万十に限らず、高知県そのものが、日本列島の中で最も交通不便の地で、観光客を誘致するのは難しいのです。それでも若いスタッフたちが一生懸命取り組んでいますので、何としても誘致できる方法を探求しなければなりません。

この度ハワイのオアフ島に滞在して、表面的なハワイではなく、なぜ観光地としての人気を持続できているのか?について探りました。

広大な太平洋の真只中に、ぽつんと豆粒のような島々の集りがハワイ諸島であります。関西空港からは、8時間も掛る遠い所にあるのです。

そのハワイには年間600万人余りの観光客が訪れるのです。アメリカは勿論、日本を初め世界中からやってきます。ハワイ全体が、観光に特化していますが、その気負は全く見られません。

ハワイ全体が、観光に関わっているので、それぞれが観光客を楽しませる、喜ばせるということがテッテイしています。つまりハワイ全体が、観光客を迎えているのです。

ほとんどの施設が60年ほどの歴史と、経験をつみ観光客を楽しませる街を心得えているように思いました。それが自然体となっているのです。太平洋上の小島に、このような観光施設をつくり、世界の人々を誘致できるのはすごいことです。

ハワイの人たちは、自然を大切にしています。四万十や、高知にはどこにもない大自然があります。そのような特性を活用して、高知全体が観光に特化しなければ・・・とつよく思いました。

観光の島ハワイに滞在したわたしは、観光に携わるものとして、思わぬ勉強をさせて頂いたと感謝しています。

できればもう一度ハワイへゆき、じっくり観光について学びたいと考えています。

2017/04/24 | 日々日

館長

◎椿山荘
2017年04月21日

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「遊戯神通 若冲」河治和香著を読んでいると、最後に東京の「椿山荘」が出てくるのをなつかしく読み、想い出していました。

椿山荘は、30年ほどまえから、上京する度に宿泊させて頂いていたホテルでした。当時は「フォーシーズンスホテル・椿山荘」という外資系のホテルでした。

山県有朋の別荘であったという広大な庭園を囲むように、ホテルは建てられていました。どの部屋からも庭園が見下せるようにホテルの各部屋からの眺望は見事でした。

少し贅沢ではありましたが、どうせ東京で泊まるならと定宿にしていました。なぜか支配人さんたちからも親しくて頂き、上京する楽しみにもなっていました。

有名な椿山荘の庭園を散策したのは数えるほどしかなく、夏の夜のホタルの時期には二度ほど歩いた記憶があります。

「遊戯神通 若冲」には、山県有朋からゆずり受けた藤田伝三郎は、大阪の邸宅から若冲の石仏群を、椿山荘に運び入れたと書いてありました。

「フォーシーズンスホテル・椿山荘」では宿泊だけではなく、息子夫婦の結婚式や、わたしの出版記念会パーティなども盛大に催して頂きました。わたしの得意な時代であったのでしょう。

数多く利用させて頂いた椿山荘でありながら、あの立派な庭園をゆっくり散策していなかったことは、今になって悔やまれます。

若冲さんの石仏があるなど、考えもしなかっただけに残念です。次に宿泊する機会があれば、早めにチェックインして、お庭をゆっくり歩いてみよう!などと考えています。

現在は「椿山荘」というだけのホテルになっています。去年は久し振りに止めて頂きましたが、「フォーシーズンスホテル」の雰囲気はそのまま残されていて嬉しく思いました。

「本日はスイートのお部屋が空いていますので、そちらをご用意させて頂きました」と支配人に案内されて、立派なスイートの部屋に普通料金で宿泊させて頂いたりもしました。

数多く宿泊させて頂きながら、椿山荘の名庭をじっくり拝見していなかったことは悔やまれます。次に機会があれば、若冲さんの石仏を拝見しなければと楽しみにしています。

椿山荘の庭の写真は、以前「フォーシーズンスホテル・椿山荘」の資料が見つかり次第、またブログさせて頂きましょう。

2017/04/21 | 日々日

館長

◎95歳へ!
2017年04月20日

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10年ほどまえ、「95歳へ!」という渡部昇一さんのご本を求めていました。

渡部さんが、77歳の時に出版されていました。渡部さんは「知的生活の方法」などのベストセラーを出されている評論家としても知られています。

その本の帯には「何事かをなす時間は、まだたっぷり残されているのです。60歳からの35年を設計する、中高年のための実践的幸福論」とあり、裏表紙の帯には次のようにあります。

「私は今年で77歳です。これまで幸いにして自分が理想と考えていた道を歩み、かくありたいと願っていた生活をしています。そして、今後は95歳ぐらいまでの20年間は、現在と同じような楽しい生活、活動を続け、さしたる精神修養もせずに静かにしたいと思っています。そのためにどうしたらよいか。ボケずに健康で95歳を迎えるには――この10年ほどの間、私は何人ものかくしゃくたる高齢者と対談し、教えて頂いたノウハウを自分なりに咀しゃくしてきました。この本にまとめたのはそのエッセンスです。この本が、長い晩年を設計する一つのヒントになることを祈っています」とあります。

また本のあとがきには「95歳まで生きれば、たいていの人は苦しまずに死ぬ。生への執着、未練もなくなるし、死への恐怖もなくなる。正に聖人、高僧の心境で、そうなればお経もバイブルもコーランも不要になります」とつづきます。

渡部さんは、1926年生まれですから、わたしより二歳年下であります。自ら予測された「95歳までは生きられなかったものの」86歳で亡くなられたのは立派であります。

わたしはこれまで自由奔放に生きて参りましただけに、自らを型に入れたり、こうしなければ…などという考えで束縛する気持ちはありません。しかし、89歳になりますと、「95歳へ」という渡部さんの10年まえに出版された思いは理解できます。

「95歳まで生きれば、たいていの人は苦しまずに死ぬ」ということは本当のように思われます。わたしとしましては、来年90歳なので、すべてのことは90歳になった時点で考えようと思っています。

わたしも89歳ですから、いつあの世へ旅立つかは保証の限りではありません。それでも毎日精いっぱい生き抜けたら、ええやろなどと気楽に考えています。

今月はハワイへも行って参りました。90歳までは何とか、生きられそうな気配です。90歳になったら、いろいろとご報告しましょう。

渡部昇一さんのご冥福をお祈りしながら…。

2017/04/20 | 日々日

館長

◎グリコのおまけ
2017年04月19日

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4月15日、日経の夕刊に、グリコのおまけの記事がありなつかしく読みました。

「キャラメルのグリコは、2月で発売95年を迎えた。ドキドキしながらおまけの箱を開け、菓子を味わうのも忘れて遊んだ人は多いはず。3万種類、55億個というおまけの歴史をたどった」とあります。また、おまけ3万種は、主役を食う楽しさ!ともありました。

その時代時代を先取りしてきたグリコのおまけ、おまけそのものが大阪商法と申しますか、それは95年間も持続されていることからも窺えます。グリコのおまけで思い出すのは、木のおもちゃを手作りされていた加藤裕三さんの工房へ、何回かお訪ねしたことでしょうか。

そのうち海洋堂でも、昭和30年代の電気製品などを、フィギュアで再現して人気があったことを思い出します。

「タイムスリップグリコはフィギュアの海洋堂と組み、昭和30年代をテーマにした大人も納得するおもちゃがあふれている。例えば星飛雄馬の父一徹がひっくりかやしそうなリアルなちゃぶ台に朝飯がのる。メインはサンマ2匹、今にも飯をよそおうと、しゃもじを添えた電気釜まで再現する。細部まで凝った同シリーズは、約3年間で20種類4000万個を売り上げたというから納得だ」と記事にありました。

日経の「くらし物語」という記事の中に、江崎グリコと共に掲載されていることは、いつでも優れたモノづくりをしていれば、いつの時代になっても評価されるということで、嬉しく思いました。

2017/04/19 | 日々日

館長

◎ハワイへ行ってきました(2)
2017年04月18日

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7人の小さなツアーでありますが、ほとんどは旅行社によってプランが作られ、それによって行動することになります。

それでも4日目になりますと、少しずつオアフ島の内包する魅力が何であるかも気付きはじめるようになりますが、そこは7人のツアーでありますから、勝手な行動はできません。

ましてやこの度のハワイ旅行は、わたし共年寄りを中心に組み立てて下さっているので、ぜいたくを言えばバチが当ります。

夕方になりますと、浜辺でのハワイアンの踊りを見ながら食事をしたり・・・というハワイ情緒を味わったり、マジックショー、クルーズショーというように、毎夜豪華な趣向が用意されていました。

1941年12月7日パール・ハーバーを日本の戦闘機が奇襲いたしました。いわゆる真珠湾攻撃です。その悪夢のような戦跡すら後世のわたし共に、一つの歴史として見せるアメリカの大きさには、日本人として感動するものがありました。

4日目頃から感じはじめたのは、島のすべての人々が観光に特化しているということでした。観光客を楽しませる、喜ばせようという気持ちが横溢しているのには、本当に驚きました。

わたしも、海洋堂ホビー館や、かっぱの砦を運営、観光客を誘致しているだけに、高知や、日本の場合はまだまだ観光そのものが形をなしていない。つまり、点が線でつながっていないことを実感させられました。

ホテルから観光地まで、すべてがつながっていて、観光客を心から楽しませる、喜ばせるように仕組まれているだけではなく、すべての島人が努力されているのです。

日本では過疎化対策に汲々としていますが、人口が減れば生産なども少なくなり、観光資源に頼ることになるでしょう。しかし、日本の現実はどうでしょうか?

二つのミュージアムを運営しているわたし共でありますが、いくら一生懸命取り組んでも、町や県、それにホテルなどの総合的な連携がなければ、観光は成り立たない事を実感いたしました。

これまで多くの観光地を巡りましたが、また来よう!と思ったのはハワイだけでした。観光客を心から楽しませる、喜ばせる仕組みづくりが大切であります。その心を60年の観光歴史をもつハワイで学びました。

花を咲かせる人、大樹を見守る人、すべての人々が観光客と同じような立ち位置にいて、観光客と溶け合っているのです。観光の島といわれるようになるには、観光が産業となるのには、わたしのような年寄りまでが、もう一度ハワイへ・・・という気持ちにさせる仕掛け、つまり楽しんで頂けるようにしなければ・・・と思いました。

2017/04/18 | 日々日

館長

◎ハワイ旅行(1)
2017年04月17日

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2週間ブログをお休みして、ハワイへ行って参りました。わたしのような年寄りが、ハワイなどへ旅行するなど、とんでもない?などと笑われそうなので、旅に出るなどと報告させて頂きました。

ハワイは若者にふさわしい観光の島というイメージがありましたけれど、世界中の人々を招き入れる、つまり包容力のあるすばらしい島でした。

多種多様な人種は勿論のこと、若者から年寄りまで中広く迎えいれてくれるので、わたしのような老夫婦でも、ハワイという暖が雰囲気の中に溶け込んでしまいます。

若者の島というイメージがつよくありましたので、年寄りが行くのは・・・という恥ずかしさから、ハワイへ旅行します。とはブログにできなかったようです。

無事楽しく帰国いたしますと、身勝手なもので、「ハワイへ行って参りました!」と胸張ってご報告するのですから困った年寄りであります。

むかし、わたし共が若い頃は「憧れのハワイ航路」などという流行歌がありました。しかし、豪華客船でゆくハワイは手の届かない夢の島でした。

日本経済もよくなると、太平洋の真只中に浮ぶハワイ諸島への観光客は増えつづけ、新婚旅行だけではなく、観光の最終目的はハワイと言われるまでになりました。

わたし共のように歳を取りますと、ハワイへ行くなど考えたこともなく、この度もお誘いと申しますか、ご招待して頂かねば訪れることはなかったでしょう。

お誘いを受け、それじゃ~お言葉に甘えて、近くの島へ参るような気軽さで参加させて頂きました。

一日、二日目は、どこへ参っても同じような観光気分でしたが、三日目頃から、ハワイは凄い!と感じるようになりました。とくに植物のすばらしさには感動いたしました。どこに参りましても、大きな樹や、椰子などが生えているのです。

ホテルの中庭にまで、見上げるような樹や、椰子が植わっています。それがすばらしいのは、ホテルが植えたというのではなく、以前からそこにあったようにすら感じることでした。

多様な国々の人々がいます。半ズボンで半裸の人もいれば、アロハシャツの人もいるというように、何でもありの、すべてよし!というような感覚で受け入れているのです。

褐色の肌をした逞しい若者の右腕には、すてきな入れ墨をしていますが、誰も気にとめていません。それは現地人でしょうが、それがそれがよく似合っています。

2017/04/17 | 日々日

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